ほんだ ただまさ
| 地域 | 東海・近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | 丸に立ち葵 |
| 主武器 | 太刀・大槍 |
| 衣装・甲冑 | 黒漆塗具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・堅実 |
本多忠勝の長男。大坂の陣において徳川軍の主力として先陣を切り、後に姫路藩15万石の基礎を築いた。
目次
本多忠勝の長男・本多忠政
本多忠政(ほんだ ただまさ)は、徳川四天王の一人として名高い猛将・本多忠勝の長男です。父譲りの武勇と手堅い将器をもって徳川家に仕え、のちに姫路藩十五万石の礎を築いた大名です。
徳川譜代の名門として
本多氏は、三河以来の徳川譜代のなかでも屈指の名門でした。本多忠政は、その嫡男として重きをなし、徳川家康・秀忠のもとで各地の戦いに従軍します。妻に徳川家ゆかりの女性を迎えるなど、幕府草創期の中枢に連なる存在でした。
大坂の陣での奮戦
慶長19年〜20年(1614〜1615年)の大坂の陣において、本多忠政は徳川軍の主力の一翼として参戦しました。父・忠勝譲りの手堅い采配で戦功を挙げ、豊臣家を滅ぼすこの決戦において徳川方の勝利に貢献します。
姫路藩十五万石
大坂の陣ののち、本多忠政は西国の要衝・姫路に十五万石を与えられ、姫路藩主となりました。西国の外様大名を抑える重要な役割を担い、姫路城下の整備にも尽力します。本多忠政の生涯は、名将・本多忠勝の家を継ぎ、大坂の陣を経て姫路藩の礎を築いた、徳川譜代大名の姿を今に伝えています。

















































































