大久保長安 | 武田家の猿楽師から徳川の代官頭へ。佐渡金山・石見銀山等の鉱山開発と財政で爆発的巨富を幕府にもたらした

大久保長安 イラスト

おおくば ながやす

地域甲信越・関東
所属勢力・属性徳川家臣
大名家徳川
家紋上り藤
主武器鉱山算盤・行政書状
衣装・甲冑豪華高級具足
武将タイプ「鉱山王」・異能

武田家の猿楽師から徳川の代官頭へ。佐渡金山・石見銀山等の鉱山開発と財政で爆発的巨富を幕府にもたらした。

目次

猿楽師の家

長安は猿楽(能)の大蔵流の家に生まれたと伝えられます。武士の家ではない出自から、のちに「天下の総代官」と呼ばれるまでに出世した人物です。

武田家に仕える

長安ははじめ甲斐の武田家に仕え、蔵前衆として年貢や財政の実務に関わりました。この経験が、のちの長安の才能の土台となりました。

家康のもとへ

1582年に武田家が滅びると、長安は徳川家康に仕えました。家康は旧武田家臣の中から実務に優れた人材を積極的に取り立てており、長安もその一人でした。

甲斐の再建

長安は武田家滅亡後の甲斐で、治水や新田開発、検地などに取り組み、荒れた土地の再建に力を尽くしたとされます。

関東入国と八王子

1590年に家康が関東に移ると、長安は代官頭の一人として武蔵の八王子に陣屋を構えました。八王子には旧武田家臣を中心とする「八王子千人同心」が置かれ、長安がその組織に関わったとされます。

街道と一里塚

長安は街道の整備にも関わり、一里ごとに塚を築く一里塚の設置を進めたともいわれます。江戸を中心とする交通網づくりの一端を担いました。

石見銀山の奉行

長安は石見銀山の奉行となり、銀の生産を大きく伸ばしました。石見銀山はのちに世界遺産に登録された日本有数の銀山です。

佐渡金山・伊豆金山

長安は佐渡金山や伊豆の金山の経営も任されました。新しい採掘や精錬の技術を取り入れ、金銀の産出を大きく増やしたと伝えられます。

「天下の総代官」

長安は全国の直轄地や鉱山の支配を一手に担い、「天下の総代官」と呼ばれるほどの権勢をふるいました。幕府の財政を支える中心人物となったのです。

華やかな暮らし

長安は大きな権勢を背景に、派手な暮らしぶりで知られたとも伝えられます。その豪勢な振る舞いは、周囲の反感も招いたといわれます。

死後の大事件

1613年に長安が亡くなると、その直後に生前の不正な蓄財が問題とされました。長安の子たちは切腹を命じられ、関係者も多く処罰されました。これを「大久保長安事件」と呼びます。

事件の背景

この事件の背景には、幕府内の権力争いがあったとも考えられています。長安を重用した大久保忠隣も、のちに失脚しています。

評価の分かれる人物

長安は、幕府の財政を支えた有能な実務家とも、私腹を肥やした悪人とも評価されてきました。死後に家を取り潰されたことで、その功績が正当に伝わりにくくなったともいえます。

近年の見直し

近年は、鉱山の開発や交通網の整備など、長安が江戸幕府の基礎づくりに果たした役割が改めて注目されています。

長安の評価

長安は、武田家の実務家から徳川家の財政の柱へと出世した異色の人物です。その栄光と死後の悲劇は、権力の中枢で働くことの光と影をよく表しています。

このイラストについて

羽織姿の壮年の男が、山あいに建物の並ぶ景色を背にした姿です。

背景の山と建物は、長安が奉行として開発を進めた石見銀山や佐渡金山などの鉱山をイメージしています。長安は合戦ではなく、鉱山や財政の経営で徳川家を支えた人物でした。顔立ちは想像によるものです。

※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。

徳川家

三河の国衆・松平氏から出た家。家康の祖父清康は三河をほぼ手中にしながら守山崩れで横死し、父広忠の代には今川氏の庇護を受ける立場に落ちた。家康自身も少年期を織田・今川の人質として過ごしている。

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