千姫 | 徳川秀忠の娘で豊臣秀頼の妻。大坂城の落城から救い出され、本多忠刻と再婚した姫

千姫のイラスト(イメージ)

せんひめ

地域近畿(大坂・姫路)、関東(江戸)
所属勢力・属性徳川氏(秀忠の娘)、豊臣秀頼の正室
大名家徳川家・豊臣家・本多家
家紋三つ葉葵
主武器―
衣装・甲冑小袖・打掛
武将タイプ二つの家を生きた姫

千姫(せんひめ)は、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠とお江(崇源院)の長女である。慶長2年(1597年)に伏見で生まれ、寛文6年(1666年)に70歳で亡くなった。7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、大坂の陣で大坂城が落ちたときに救い出された。のちに本多忠刻と再婚し、姫路城で暮らした。

3行でわかる千姫
  • 徳川家康の孫で、7歳で豊臣秀頼の正室となった
  • 大坂夏の陣で大坂城が落ちるとき、城から救い出された
  • 本多忠刻と再婚して姫路で暮らし、夫の死後は江戸で天樹院と名のった
目次

7歳で大坂城へ

千姫の母・お江は淀殿の妹である。つまり千姫と秀頼はいとこ同士だった。秀吉は生前、千姫と秀頼の結婚を決めており、慶長8年(1603年)、7歳の千姫は大坂城の11歳の秀頼に嫁いだ。

この結婚は、豊臣家と徳川家をつなぐ役目を期待されたものだった。しかし徳川家が天下の実権をにぎるにつれ、両家の関係は悪化していく。

大坂城の落城

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされるとき、千姫は城から出されて徳川方に引き渡された。千姫は夫の秀頼と義母の淀殿の助命を祖父の家康や父の秀忠に願ったが聞き入れられず、二人は自害した。

千姫を救い出したのは坂崎直盛だという話が知られる。のちに千姫の再婚をめぐって直盛が騒動を起こし、坂崎家が取りつぶされる「千姫事件」につながったと伝わるが、くわしい事情には諸説ある。

姫路での暮らしと晩年

元和2年(1616年)、千姫は本多忠勝の孫・本多忠刻と再婚し、のちに忠刻が姫路城に移るとともに姫路で暮らした。二人の間には娘の勝姫が生まれている。

寛永3年(1626年)に忠刻が亡くなると、千姫は江戸に戻って出家し、天樹院と名のった。弟の三代将軍・家光の子の世話をするなど、将軍家の一員として晩年を過ごし、寛文6年(1666年)に亡くなった。

千姫をめぐる人物

  • 父母:徳川秀忠/お江(崇源院)
  • 祖父:徳川家康
  • 最初の夫:豊臣秀頼
  • 二番目の夫:本多忠刻
  • 弟:徳川家光

ゆかりの地

  • 姫路城(兵庫県姫路市):本多忠刻と暮らした城。西の丸に千姫ゆかりの化粧櫓がある
  • 伝通院(東京都文京区):千姫の墓所
  • 大阪城(大阪市中央区):秀頼の妻として暮らした城
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