ありま なおずみ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 有馬氏・徳川系 |
| 大名家 | 有馬氏 |
| 家紋 | 丸に三ツ割丸た |
| 主武器 | 太刀・十字架 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 棄教・家存続 |
有馬晴信の子。キリシタンを棄教して徳川家康の信任を得て日向延岡藩へ移封され、家を存続させた。
目次
有馬晴信の子・有馬直純
有馬直純(ありま なおずみ)は、肥前(現在の長崎県)の大名・有馬氏の武将で、キリシタン大名として名高い有馬晴信の子です。島原半島の日野江城を本拠とした有馬氏は、南蛮貿易やキリスト教と深く結びついた一族でした。
キリシタン大名の家に生まれて
有馬直純は、熱心なキリシタン大名であった父・晴信のもとに生まれ、自らもキリスト教の洗礼を受けていました。有馬氏は、南蛮貿易の利とキリスト教信仰を背景に、島原半島に勢力を保っていました。
棄教と徳川家康の信任
しかし、父・晴信が岡本大八事件に連座して失脚・処刑されると、有馬直純の立場は難しいものになります。直純は、キリスト教を棄教して徳川家康の信任を得る道を選び、家の存続をはかりました。徳川政権が禁教へと向かうなか、信仰よりも家の存続を優先する苦渋の決断でした。
日向延岡藩へ
有馬直純は、故郷の島原を離れ、日向の延岡(のべおか)へと移封されました。先祖伝来の地を離れながらも、家名を保つことができたのです。有馬氏は、その後も延岡藩などの大名として続きました。有馬直純の生涯は、信仰と家の存続のはざまで棄教を選び、家を守り抜いた武将の姿を今に伝えています。


















