たかはし もとたね
| 地域 | 九州(日向) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 高橋氏(秋月一族) |
| 大名家 | 高橋家 |
| 家紋 | 抱き柊 |
| 主武器 | ―(采配) |
| 衣装・甲冑 | 具足・陣羽織 |
| 武将タイプ | 改易された大名 |
高橋元種(たかはし もとたね)は、筑前の戦国大名・秋月種実の次男として元亀2年(1571)に生まれ、高橋鑑種の養子となった武将である。豊前の香春岳城主として大友氏・毛利氏・豊臣氏と戦ったのち、豊臣秀吉の九州国分で日向延岡(県)5万石余を与えられた。関ヶ原の戦いを生きのびたが、慶長18年(1613)に改易された。
香春岳城主として
元種は幼くして高橋鑑種の養子となり、天正7年(1579)に大友方から奪った豊前の香春岳城の城主となった。天正14年(1586)、秀吉の九州攻めの先手として毛利軍が豊前に攻め入ると、一度は降伏するが、島津軍が豊後に攻めこむとふたたび島津方に戻り、香春岳城に籠城した。吉川元春の軍勢に水の手を断たれ、12月に降伏している。
九州国分で日向延岡へ
天正15年(1587)の九州国分で、元種は日向の県(延岡)5万3000石に移された。宮崎城もその支配下に置かれた。文禄・慶長の役ではいずれも渡海し、慶長の役では泗川の城の普請にあたった。帰国の際に連れ帰った朝鮮の陶工が、領内で窯を開いたとも伝わる。
関ヶ原と宮崎城
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、兄の秋月種長とともに西軍につき、大垣城の三の丸を守った。本戦で西軍が敗れると、兄弟は大垣城で東軍に寝返り、同じく籠城していた相良長毎(頼房)も誘っている。ところが同じ月の29日、東軍の伊東家の家臣・稲津重政に宮崎城を攻め落とされた。翌年、家康の裁定で宮崎城は元種に返された。
慶長18年の改易
慶長8年(1603)には県城(のちの延岡城)を完成させ、城下町を整えた。しかし慶長18年(1613)、坂崎直盛のもとを出奔した甥の水間勘兵衛をかくまったことなどを咎められて改易となる。元種の身柄は陸奥棚倉の立花宗茂に預けられ、翌年、棚倉で44歳で亡くなった。
高橋元種をめぐる人物
ゆかりの地
- 香春岳(福岡県田川郡香春町):元種が城主だった香春岳城があった山
- 延岡城跡(宮崎県延岡市):元種が築いた県城
- 宮崎城跡(宮崎県宮崎市):関ヶ原のあと伊東家に攻め落とされた城


秋月種実
高橋鑑種
秋月種長
相良長毎
立花宗茂
伊東祐兵






















