さかい しげただ
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 老練・譜代 |
酒井重忠(1549〜1617)は酒井正親の子で、徳川家康に仕えた武将・大名である。姉川・長久手などの戦いに出陣し、天正18年に武蔵川越1万石、慶長6年に上野厩橋3万3000石余を領した。厩橋藩酒井家の初代である。
目次
雅楽頭酒井家の嫡流
酒井重忠は天文18年(1549)の生まれ。通称は与四郎。酒井正親の子で、日本人名大辞典は次男とする。酒井氏のうち、雅楽頭(うたのかみ)系と呼ばれる家の嫡流にあたる。
徳川家臣の酒井氏には、雅楽頭系と左衛門尉系の二つの系統がある。左衛門尉系からは酒井忠次が出た。父の正親は家康の父・松平広忠の代から仕えた家臣で、三河の西尾城主を務めたとされる。
父とともに徳川家康に仕え、天正4年(1576)に家督を継いだ。
戦場での働き
重忠は元亀元年(1570)の姉川の戦いや、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いに出陣した。長久手では功をあげたとされる。その後、三河の西尾城主となった。
川越から厩橋へ
天正18年(1590)、家康が関東に移ると、重忠は武蔵国川越城主となり1万石を与えられた。川越藩はこれに始まる。川越は江戸の北西を守る要地で、以後も譜代大名が藩主を務めた。
慶長6年(1601)には上野国厩橋(のちの前橋)に移り、3万3000石余を領した。これが厩橋藩酒井家の初代である。雅楽頭酒井家は、寛延2年(1749)に播磨姫路へ移るまで厩橋(前橋)を治めた。
元和3年(1617)7月21日に没した。69歳。子の忠世が跡を継ぎ、のちに江戸幕府の老中・大老を務めた。弟の忠利も川越藩主となっている。
ゆかりの地
- 龍海院(群馬県前橋市):酒井家の菩提寺。重忠の墓碑がある
- 前橋城跡(群馬県前橋市):旧厩橋城。慶長6年から居城とした
- 川越城跡(埼玉県川越市):天正18年に城主となった


















































































