信長と秀吉の経済政策を比較|楽市楽座・関所撤廃と太閤検地・刀狩・金銀山、ねらいの違い

織田信長と豊臣秀吉のイラスト(イメージ)

天下を取るには、兵だけでなくお金と物の流れを押さえる必要がありました。織田信長は楽市楽座や関所の撤廃で「商売と物流の流れ」をよくし、豊臣秀吉は太閤検地や刀狩で「土地と人」をしっかりつかみました。この記事では、二人の経済政策を、ねらい・中身・担い手・強さと弱さで比べます。

目次

ひと目でわかる比較表

織田信長豊臣秀吉
いちばんのねらい商売と物流をさかんにして、そのもうけを取りこむ全国の土地と人を把握して、年貢と兵を確実に集める
商業・都市楽市楽座(1567年加納、1577年安土)、堺・大津・草津を押さえる大坂・京・堺・博多・長崎を直轄。博多の町割(1587年)
物流関所の撤廃(1568年〜)、道の整備(道幅を広げ、並木を植える)海賊停止令(1588年)で海の道を安全に
お金撰銭令(1569年)で銭の価値や使い方を決める金山・銀山を押さえ、天正大判(1588年)をつくる
土地指出(領主に土地を自己申告させる)が中心太閤検地(1582年〜)で役人が実際に測り、全国で基準をそろえる
人身分の大きな改革はしていない刀狩令(1588年)、身分統制令(1591年)で武士と百姓を分ける
おもな担い手京都所司代の村井貞勝、各地の重臣石田三成・浅野長政・増田長盛ら奉行、財政の長束正家

織田信長の経済政策:流れをよくする

楽市楽座

信長は永禄10年(1567年)、美濃の加納に楽市令を出し、天正5年(1577年)には安土の城下にも出しました。楽市は、市場での商売を自由にし、税や特権の決まりをゆるめて、だれでも商売ができるようにするしくみです。座(同業者の組合)が持っていた特権をおさえることで、城下に商人を集めました。くわしくは楽市楽座とはで解説しています。

関所の撤廃と道の整備

当時の道には、寺社や領主がそれぞれ関所を置いて通行料を取っていました。信長は上洛した永禄11年(1568年)ごろから、自分の領国の関所をなくしていきます。さらに道幅を広げ、並木を植えて道を整えました。物や人が通りやすくなれば、商売がさかんになり、軍勢も早く動かせます。

撰銭令と都市

永禄12年(1569年)には撰銭令を出し、質の悪い銭をどう扱うか、金や銀でどう取り引きするかを決めました。また上洛後、商業の中心の堺に矢銭(軍用金)を出させ、大津・草津といった交通の要地も押さえています。

豊臣秀吉の経済政策:土地と人をつかむ

太閤検地

秀吉は天正10年(1582年)から、征服した土地で次々に検地を行いました。それまでの検地は領主の申告が中心でしたが、秀吉は役人を送って田畑を実際に測らせ、枡の大きさや面積の単位を全国でそろえました。一つの土地には耕す百姓を一人だけ登録し、その百姓が年貢を納める形にしています。こうして全国の石高がわかるようになり、大名の領地も石高で表されるようになりました。検地は石田三成・浅野長政らの奉行が担っています。

刀狩令と身分統制令

天正16年(1588年)の刀狩令で、百姓から刀や槍、鉄砲を集めました。天正19年(1591年)の身分統制令では、武士が百姓や町人になること、百姓が田畑を捨てて商売や奉公に出ることなどを禁じています。武士と百姓をはっきり分け、百姓を土地にしばりつけて年貢を確実に集めるしくみです。政策の流れは惣無事令・太閤検地・刀狩でも紹介しています。

金銀山・都市・貿易

秀吉は生野銀山などを押さえ、各地の鉱山から金銀を納めさせて、天正16年(1588年)に天正大判をつくらせました(天正大判)。大坂・京・堺に加え、九州攻めのあとには博多の町を作り直し、長崎も直轄にして、商業と貿易の利益を握っています。

年表で見る二人の経済政策

信長と秀吉のおもな経済政策(年は通説による)
信長と秀吉のおもな経済政策(年は通説による)

強さと弱さをくらべる

信長の政策の強さ

  • すばやく効く:関所をなくし市場を開くだけで、商人が集まり、すぐに町がにぎわった
  • 都市のお金:堺など豊かな都市から軍資金を引き出し、鉄砲などの調達に使えた

信長の政策の弱さ

  • 土地の把握が弱い:検地は申告にたよる部分が大きく、全国一律の基準はつくれなかった
  • 反発:特権を失う寺社や座の反発を受けた

秀吉の政策の強さ

  • 全国の基準:検地で石高という共通のものさしをつくり、大名への領地の配分や軍役の負担を数字で決められるようにした
  • 長く続くしくみ:検地と身分の区別は、江戸時代の社会の土台になった
  • 金銀と貿易:米以外の大きな財源を持っていた

秀吉の政策の弱さ

  • 強い反発:検地に反対する一揆が各地で起き、肥後では国人一揆の責任を問われた佐々成政が切腹した
  • 重い負担:朝鮮出兵で大名と百姓に大きな負担をかけ、集めた富を戦に使った

まとめ

信長は、関所をなくし市場を開いて「流れ」をよくし、商売のもうけで天下取りを進めました。秀吉は、検地と刀狩で「土地と人」をつかみ、全国を同じものさしで治めるしくみを作りました。信長が道を開き、秀吉がその上に制度を築いた、と言えるかもしれません。秀吉の財源の大きさは信長と秀吉の領地・石高を比較でもふれています。

信長と秀吉の比較は、家臣団・妻・側室・水軍・城もあわせてどうぞ。

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