ほんだ まさずみ
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | 丸に立ち葵 |
| 主武器 | 行政書状・太刀 |
| 衣装・甲冑 | 高級具足 |
| 武将タイプ | 権謀・敏腕 |
本多正信の長男。家康の側近として駿府大御所政治を取り仕切ったが、後に宇都宮釣天井事件等で失脚。
目次
徳川の知恵袋・本多正信の長男
本多正純(ほんだ まさずみ)は、徳川家康の側近として権勢をふるった武将で、家康の知恵袋と称された名臣・本多正信の長男です。父譲りの知略によって、家康・秀忠二代の政治の中枢に深く関わりました。
駿府の大御所政治
徳川家康は、将軍職を子・秀忠に譲ったのちも、駿府にあって「大御所」として実権を握り続けました。本多正純は、この駿府の大御所政治を取り仕切る側近として、家康の絶大な信任のもとに幕政に大きな影響力を及ぼしました。
権勢とその陰り
家康の死後、本多正純は将軍・秀忠のもとで下野宇都宮の大名となりますが、その大きすぎる権勢は、周囲の反感を招くことにもなりました。父・正信の死後、正純を支える後ろ盾も失われていきます。
宇都宮釣天井事件と失脚
元和8年(1622年)、本多正純は「宇都宮釣天井事件」と呼ばれる、将軍暗殺を企てたとする嫌疑をかけられ、失脚しました。この事件の真偽には諸説ありますが、正純は所領を没収されて改易されます。その生涯は、絶頂から一転して転落した、権力の非情さを物語る一例として、今に語り継がれています。
















































































