あべ まさつぐ
| 地域 | 関東・近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家 |
| 大名家 | 阿部家(岩槻藩) |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 黒塗具足 |
| 武将タイプ | 統治・行政 |
阿部正次(1569〜1647)は阿部正勝の長男で、徳川家康に仕えた武将・大名。大坂の陣で功を立て、上総大多喜、相模小田原を経て武蔵岩槻藩主となった。のち大坂城代を21年務め、在職のまま没したとみられる。
家康譜代の家に生まれる
阿部正次は永禄12年(1569)、三河に生まれた。父の阿部正勝は徳川家康の幼少期から仕えた譜代の家臣である。天正18年(1590)、家康の関東移封にともない、正勝は5000石を与えられた。
正勝は、家康が今川氏の人質として駿府にいた幼少期から付き従った側近として知られる。阿部家はこの縁で、徳川家の中でも古くからの譜代とされた。
正次は父の跡を継ぎ、家康・秀忠に仕えた。
大坂の陣と大名への取り立て
慶長19〜20年(1614〜15)の大坂の陣で、正次は戦功を挙げたとされる。
元和3年(1617)、正次は上総大多喜城主となり、大名に列した。その後、相模小田原城主を経て、元和9年(1623)に武蔵岩槻へ移った。石高は5万5000石で、のち加増されて8万6000石となった。岩槻藩阿部家はここから始まる。
大坂城代として
正次は奏者番を務めたのち、大坂城代に任じられた。大坂城代は、将軍に代わって大坂城を守り、西国の大名を監視する重職である。
大坂は大坂の陣ののち幕府の直轄地となり、元和5年(1619)ごろから城代が置かれた。城代には譜代大名が任じられ、多くは数年で交代した。
正次はこの職を21年にわたって務めた。正保4年(1647)11月14日に79歳で没した。在職年数から、城代在任のまま死去したとみられる。
岩槻藩阿部家のその後
正次が大坂にいる間、子の重次が家を支えた。重次はのちに老中となり、慶安4年(1651)に将軍徳川家光が没すると、殉死した。
阿部家の諸家はその後も譜代大名として続き、幕府の要職に就く者を出した。岩槻の地はのちに他家の領地となった。
ゆかりの地
- 岩槻城跡(埼玉県さいたま市岩槻区):正次が藩主となった岩槻藩の居城
- 大多喜城(千葉県大多喜町):正次が初めて大名として入った城
- 小田原城(神奈川県小田原市):正次が一時城主を務めた城


















































































