桶狭間の戦い
今川義元 対 織田信長 ― 天下の勢力図を変えた一戦
川中島の戦い
上杉謙信 対 武田信玄 ― 五度に及ぶ戦国最強の対決
第二次木津川口の戦い
毛利水軍 対 織田水軍 ― 鉄甲船が変えた毛利包囲網の行末
長篠の戦い
織田・徳川連合軍 対 武田勝頼 ― 鉄砲三段撃ちが打ち破った騎馬軍団
関ヶ原の戦い
東軍 徳川家康 対 西軍 石田三成 ― 天下分け目の一日

筆者が歩いた城と古戦場現地で撮った写真つきの合戦記事

このサイトの合戦記事の多くは、筆者が実際に城跡や古戦場を訪ねて書いています。写真はすべて筆者の撮影です。

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合戦から探す名勝負をわかりやすく解説(全54本)

信長の時代

桶狭間の戦い金ヶ崎の退き口姉川の戦い比叡山焼き討ち長島一向一揆三方ヶ原の戦い一乗谷の戦い長篠の戦い石山合戦手取川の戦い第二次木津川口の戦い雑賀攻め天目山の戦い本能寺の変

秀吉の天下統一

備中高松城の水攻め中国大返し山崎の戦い神流川の戦い賤ヶ岳の戦い小牧・長久手の戦い蟹江城の戦い四国攻め太田城の水攻め九州征伐戸次川の戦い根白坂の戦い小田原征伐忍城の水攻め九戸政実の乱葛西大崎一揆文禄・慶長の役

関ヶ原と大坂の陣

関ヶ原の戦い関ヶ原の布陣図島津の退き口松尾山城の謎北の関ヶ原大坂の陣の武将一覧

東日本の合戦

河越夜戦上田原の戦い・砥石崩れ川中島の戦い謙信の小田原攻め国府台合戦三増峠の戦い高天神城の戦い御館の乱人取橋の戦い上田合戦摺上原の戦い

西日本の合戦

厳島の戦い長宗我部と本山氏の戦い木崎原の戦い耳川の戦い沖田畷の戦い岩屋城の戦い

全国11エリアの代表的な戦国武将・歴史人物をピックアップ

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蝦夷・東北エリアの武将

蠣崎季広 | 蠣崎氏第4代。道南のアイヌ首長との関係を調整し、交易秩序の形成を進め、戦国期の蠣崎氏を支えた中心人物

蠣崎光広 | 武田信広の後を継いだ蠣崎氏第2代。大館を修築して徳山と称し、道南における蠣崎氏の支配拠点を固めた

蠣崎義広 | 光広の子で蠣崎氏第3代。徳山を拠点に道南の和人地を維持し、次代の季広へ支配基盤を引き継いだ

武田信広 | 道南に渡った武将。コシャマインの戦いで和人側を率い、蠣崎季繁の後継者となって蠣崎氏・松前氏の祖と位置づけられる

松前慶広 | 季広の子。豊臣秀吉・徳川家康から蝦夷地支配と交易上の権限を認められ、松前姓へ改めて松前藩の基礎を築いた

兼平綱則 | 津軽三老の一人。為信の信頼絶大で、為信不在の津軽領内の統治や関ヶ原の際の留守居を完遂した

津軽為信 | 南部氏から独立し津軽地方を電撃的に統一。初代弘前藩主となった謀略と武勇の将

沼田祐光 | 津軽為信の軍師。陰陽道・易学・兵法に通じ、為信の津軽統一作戦(石川城急襲など)のすべての策を授けた大功臣

森岡信元 | 津軽為信の創業を支えた筆頭重臣。数々の統一戦で圧倒的武功を立てるも、後に為信との対立から暗殺された

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関東エリアの武将

北条氏康 | 河越夜戦で関東の覇権を確立した後北条氏最盛期の当主

結城晴朝 | 結城政勝の甥。後北条氏の大軍に対し結城城を死守。秀吉の養子・秀康(結城秀康)を迎え入れて結城家の家名と領地を守り抜いた

結城政勝 | 結城政朝の子。分国法『結城家法度』を制定して領国支配を強固にし、後北条氏や佐竹氏と巧みな外交を展開した

結城政朝 | 下総結城家第15代当主。中条村の戦い等で北条氏・佐竹氏の侵攻を押し戻し、結城家の全盛期を再興した

多功長朝 | 下野多功城主で宇都宮家の一門。多功ヶ原の戦いで佐野勢を退けたと伝わる宇都宮の南の守り

芳賀高定 | 下野芳賀氏当主。主君宇都宮尚綱の討死による宇都宮家崩壊の危機を、圧倒的な謀略と外交で救い復権させた大功臣

芳賀高継 | 芳賀高定の跡を継ぐ。宇都宮国綱を支え、佐竹氏との同盟(北関東連盟)を現場で推進した

芳賀高照 | 芳賀高定のライバル(芳賀高経の子)。後北条氏と結んで高定と権力を争うも、高定の策により滅ぼされた

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甲信越エリアの武将

武田信玄 | 「風林火山」を掲げ川中島で謙信と激突した甲斐の虎

上杉謙信 | 「義」を貫き軍神と称された越後の龍

加藤段蔵 | 幻術と圧倒的な跳躍力から飛び加藤と恐れられた忍者。上杉謙信や武田信玄に仕えようとしたが、その異能を警戒され暗殺された

新発田重家 | 上杉景勝に対して反旗を翻し新発田城に抗戦。7年間にわたり上杉軍を苦しめた猛将

花井吉高 | 松平忠輝の家老。忠輝の破天荒な行動と徳川幕府との間に挟まれ、忠輝改易とともに苦難の晩年を送った

山田重辰 | 松平忠輝の側近。忠輝の軍事的補佐を務め、大坂の陣において越後高田藩軍の先鋒を率いた

鰺坂長実 | 上杉謙信の信頼厚き宿老。能登七尾城を攻略後、初代七尾城代として能登の治安維持を統括

甘粕景持 | 川中島の戦いにて武田軍の追撃に対し殿(しんがり)を見事に務め上げた上杉家名誉の猛将

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北陸エリアの武将

高晃(心極高晃) | 越中一向一揆の有力僧兵。上杉謙信の越中侵攻に対し、勝興寺の僧兵集団を率いて徹底抗戦

杉浦玄任 | 加賀一向一揆の総大将格(杉浦壱岐守)。上杉軍や織田軍相手に加賀・越中の国境で死闘を展開

超勝寺実照 | 越前一向一揆の中心寺院の住持。織田信長の越前一向一揆もみ潰し攻撃に対し徹底抗戦を指導

粟屋勝久 | 若狭武田氏の重臣。武田家の衰退後も武田元明を守り、朝倉氏や織田氏の侵攻に対し小浜の城を死守した

逸見昌経 | 若狭武田氏の重臣。主家と対立して謀反を起こし、朝倉氏や織田信長と結んで若狭の覇権を狙った風雲児

武田信孝 | 若狭武田一門の武将。家中分裂の中で主家存続を目指し、織田信長との交渉に当たった

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東海エリアの武将

織田信長 | 天下布武を掲げ安土桃山時代の扉を開いた稀代の天才戦国大名

豊臣秀吉 | 尾張の農民から天下人へ上り詰めた「太閤」

今川義元 | 海道一の弓取りと称され桶狭間に散った東海の太守

本多忠勝 | 徳川四天王の一人。57回の合戦で一度もかすり傷を負わなかったと伝わる絶対的猛将

徳川家康 | 三河の小大名から天下人へ上り詰め江戸幕府260年の礎を築いた狸親父と称される名将

前田利家 | 「槍の又左」と称され加賀百万石の礎を築いた豊臣五大老の一人

斎藤道三 | 「美濃の蝮」と恐れられた下剋上の梟雄

城戸弥左衛門 | 伊賀の忍者・鉄砲の名手。天正伊賀の乱において織田信長の本陣を狙撃し、織田軍を大混乱に陥れた

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近畿エリアの武将

織田信長 | 天下布武を掲げ安土桃山時代の扉を開いた稀代の天才戦国大名

豊臣秀吉 | 尾張の農民から天下人へ上り詰めた「太閤」

明智光秀 | 本能寺の変で信長を討ち三日天下に散った知将

石田三成 | 豊臣五奉行の一人。高い実務・行政能力で秀吉を支え、関ヶ原の戦いでは豊臣家への忠義を貫いて西軍を指揮

真田信繁 | 通称幸村。大坂の陣にて真田丸を築き家康の本陣へ突撃を敢行した不滅の英雄

黒田孝高 | 黒田官兵衛(如水)。秀吉の天下統一を頭脳で支え関ヶ原では九州電撃作戦を展開した怪物

果心居士 | 織田信長や豊臣秀吉、松永久秀の前で人知を超えた幻術を披露したと伝わる謎の幻幻術師

小川祐忠 | 近江・摂津の領主。関ヶ原の戦いにおいて小早川秀秋らとともに西軍から東軍へ寝返った武将の一人

新庄直頼 | 近江坂田郡の豪族。浅井氏・織田氏・豊臣氏・徳川氏と主家を変えながら常陸麻生藩の基礎を築く

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中国エリアの武将

毛利元就 | 安芸の一国人から中国地方8カ国を統括する大名へと上り詰めた稀代の戦国最高峰の計略家

大内義興 | 大内義隆の父。前将軍足利義尹を擁して上洛し、京を10年にわたり支配した西日本最高の覇王

大内義隆 | 西国の雄・大内家当主。文治政治に傾倒して京文化を山口に咲かせたが、文武の対立から家臣の陶晴賢に襲われ自害

岡貞綱 | 宇喜多秀吉・秀家の側近。備前・美作の検地や行政実務を担当し、宇喜多家の財政基盤を裏から維持

長船貞親 | 宇喜多直家の右腕。宇喜多三老の筆頭として直家の謀略戦を政務面から完遂させた名奉行

長船綱直 | 長船貞親の子。宇喜多秀家の信任を得て家中権力を握るも、他の重臣らとの対立(宇喜多騒動)を招いた

戸川達安 | 宇喜多直家・秀家に仕えた宇喜多三老の一人。宇喜多騒動で離反後、関ヶ原で東軍として旗本・大名へ

延原景能 | 宇喜多直家配下の猛将。美作・備中での毛利軍との攻防戦において前線部隊の指揮をとった強者

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四国エリアの武将

長宗我部元親 | 姫若子から土佐の出来人へと成長し土佐一国から四国全土を電撃的に制覇した雄

大野直昌 | 伊予大和城主。伊予宇都宮氏の重臣として長宗我部元親の大軍に対し自城を死守。凄絶な反撃で敵を震撼させた

宇都宮豊綱 | 伊予大洲城主。毛利氏・河野氏の連合軍と激突(鳥坂峠の戦い)するも敗北。毛利軍の捕虜となり流浪の末病死

安東通益 | 伊予河野氏の重臣。長宗我部元親の伊予侵攻に対し、河野軍の前線部隊を率いて頑強に抵抗

河野通直 | 河野氏最後の当主。小早川隆景ら豊臣軍の四国征伐に対し湯築城を開城。隆景の庇護を受けるも若くして病死し河野家滅亡

河野通宣 | 伊予湯築城主。大友氏や宇都宮氏、毛利氏と結びながら伊予国守護としての名門河野家を維持した

土居宗全 | 土佐一条家の筆頭重臣。一条兼定の追放後も一条家に義理を立て、長宗我部軍との四万十川の戦いにおいて討死

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九州エリアの武将

島津義弘 | 鬼石曼子と恐れられた猛将。木崎原の戦いや関ヶ原の島津の退き口で神話的武功

加藤清正 | 賤ヶ岳七本槍の一人。肥後熊本藩主となり城造りと軍功で武名を轟かせた名将

立花宗茂 | 道雪の養子。西国無双と秀吉に称賛され関ヶ原で改易されるも奇跡の旧領復帰を果たした名将

黒田孝高 | 黒田官兵衛(如水)。秀吉の天下統一を頭脳で支え関ヶ原では九州電撃作戦を展開した怪物

大友宗麟 | 南蛮貿易を推進した九州のキリシタン大名

甲斐宗運 | 阿蘇の鬼宮司。無敗を誇る鉄壁の軍略と苛烈な謀略で阿蘇家を長年守り抜いた大参謀

阿蘇惟将 | 阿蘇神社大宮司・阿蘇家当主。甲斐宗運の輔佐を受け、島津氏や龍造寺氏の肥後侵攻に対し阿蘇家の独立を死守した

阿蘇惟光 | 肥後の名門阿蘇神社大宮司・阿蘇氏の当主。豊臣秀吉の命により幼くして滅ぼされた悲運の当主

伊東祐勝 | 伊東一族の若武者。木崎原の戦いにおいて島津義弘の本陣へ肉薄し、壮絶な討死を遂げた先鋒隊長

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琉球エリアの武将

阿麻和利 | 勝連城主。勝連港の貿易で巨大な勢力を築き護佐丸を謀殺して首里城侵攻を狙うも、妻(百度踏揚)と鬼大城に討たれた

池城親方 | 琉球の最高幹部(三司官)。島津侵入後の薩摩藩との過酷な戦後交渉において琉球側の権利と自治を粘り強く守り抜いた

鬼大城 | 本名・賢雄。鬼大城と恐れられた怪力の武者。阿麻和利の謀反を察知して百度踏揚を背負い脱出し、勝連城を攻め落として阿麻和利を討ち取った

金武朝興 | 尚寧王・尚豊王の時代に琉球の摂政を務め、島津侵入後の壊滅的な事態から琉球の行政体制を再構築した

具志頭親方 | 本名・蔡求。島津軍の侵攻に対し王国の滅亡を避けるため和議を主張。謝名親方と対立しつつも民を守るため尽力

護佐丸 | 座喜味城・中城城を築いた琉球屈指の築城名人。勝連按司阿麻和利の奸計により謀反の疑いを掛けられ、無実を証明するため自害

謝名親方 | 本名・鄭迵。薩摩藩の出兵に対し徹底抗戦を主張。捕らえられて鹿児島へ連行されるも、島津への誓約書署名を拒否して命を捧げた不屈の英雄

尚永王 | 尚元王の男。明からの冊封を受け王位を継ぐが、病弱のため若くして急死した

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