戸田一西 | 家康の譜代家臣。近江膳所城の初代城主

とだ かずにし

地域東海・関東
所属勢力・属性徳川家
大名家徳川家
家紋―
主武器太刀・采配
衣装・甲冑重臣具足
武将タイプ老練・武骨

戸田一西(とだ かずあき)は徳川家康に仕えた三河出身の武将である。家康の関東入国で武蔵国鯨井に5,000石を得て、関ヶ原の戦いの後は近江で3万石を与えられ、膳所城の初代城主となった。子の氏鉄は美濃大垣藩主となっている。

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三河の戸田氏と家康

一西は三河国の出身で、父は戸田氏光とされる。戸田氏は三河に複数の系統があり、一西の家は渥美郡多米(現在の愛知県豊橋市)を本拠とした多米戸田氏である。

一西は徳川家康に仕えて三河譜代の家臣となった。天正3年(1575年)に従五位下・采女正に叙任されたとされる。

関東入国と鯨井5,000石

天正18年(1590年)の小田原征伐では、伊豆山中城の攻略に加わったとされる。同年、家康が関東に移ると、一西は武蔵国鯨井(現在の埼玉県川越市)で5,000石を与えられた。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠の軍に属して信濃上田城攻めに加わったとされる。

膳所城の初代城主

関ヶ原の後、家康は大津城に代わる城として琵琶湖畔に膳所城を築いた。一西は慶長6年(1601年)に近江で3万石を与えられ、膳所城の初代城主となった。大津市歴史博物館は、膳所藩の成立を慶長6年とし、最初の藩主を一西としている。

一西は慶長7年(1602年)に膳所に縁心寺を開いた。没年は慶長7年とする辞典(日本人名大辞典)と、慶長9年とする説があり、一定しない。

家督は長男の氏鉄が継いだ。氏鉄はのちに摂津尼崎を経て美濃大垣10万石に移り、大垣藩戸田家の祖となった。

膳所城は琵琶湖に突き出すように築かれた水城で、東海道と瀬田の唐橋を押さえる位置にある。膳所藩主はその後たびたび交代し、慶安4年(1651年)以降は本多家が明治まで治めた。

ゆかりの地

  • 膳所城跡(滋賀県大津市):一西が初代城主となった湖城
  • 縁心寺(滋賀県大津市):一西が慶長7年に開いた寺。のち膳所藩主本多家の菩提寺
  • 鯨井(埼玉県川越市):関東入国後の知行地

参考にした資料

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