小笠原長時 | 信濃守護。武田信玄に塩尻峠で敗れて国を追われ、各地を流浪して会津で亡くなった

小笠原長時のイラスト(イメージ)

おがさわら ながとき

地域甲信越(信濃・府中)
所属勢力・属性小笠原氏(信濃守護)
大名家小笠原家
家紋三階菱
主武器弓(小笠原流)
衣装・甲冑具足・直垂
武将タイプ流浪の名門当主

小笠原長時(おがさわら ながとき)は、信濃の守護・小笠原家の当主である。永正11年(1514年)に生まれ、天正11年(1583年)に70歳で亡くなった。信濃の府中(長野県松本市)の林城を本拠としたが、武田信玄に敗れて信濃を追われた。その後は上杉謙信や三好長慶などを頼って各地を流浪し、最後は会津で家臣に殺された。

3行でわかる小笠原長時
  • 信濃守護の名門・小笠原家の当主で、武家の礼法「小笠原流」の家柄
  • 天文17年(1548年)の塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、信濃を追われた
  • 各地を流浪したのち、会津で家臣に殺された。子の貞慶が旧領を取り戻した
目次

信濃守護

小笠原家は鎌倉時代から続く名門で、武家の礼法や弓馬の作法「小笠原流」を伝える家としても知られる。長時は信濃の府中を本拠に、信濃の守護として勢力をふるった。

塩尻峠の敗戦

天文17年(1548年)、武田信玄が上田原の戦いで村上義清に敗れると、長時はこれを好機と見て諏訪に攻めこんだ。しかし塩尻峠(長野県塩尻市)で信玄の奇襲を受けて大敗した。

天文19年(1550年)には本拠の林城も落とされ、長時は村上義清のもとへ逃れた。

流浪の日々

長時はその後、越後の上杉謙信、京の三好長慶などを頼って各地を流浪した。京では将軍家に小笠原流の礼法を教えたともいわれる。最後は会津の蘆名家を頼ったが、天正11年(1583年)、家臣に殺された。

長時の子・小笠原貞慶は、天正10年(1582年)に武田家が滅んだあと、ようやく父の旧領・深志(松本)を取り戻した。

小笠原長時をめぐる人物

  • 戦った相手:武田信玄
  • 頼った相手:村上義清/上杉謙信/三好長慶/蘆名家
  • 子:小笠原貞慶

ゆかりの地

  • 林城跡(長野県松本市):長時の本拠
  • 松本城(長野県松本市):子の貞慶が取り戻した深志城の地
  • 塩尻峠(長野県塩尻市・岡谷市):信玄に大敗した戦場
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