きょうごく たつこ
| 地域 | 近畿(近江・京) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣氏(秀吉の側室) |
| 大名家 | 京極家 |
| 家紋 | 平四つ目結(京極家) |
| 主武器 | ― |
| 衣装・甲冑 | 小袖・打掛 |
| 武将タイプ | 名門の側室 |
京極竜子(きょうごく たつこ)は、近江の名門・京極家の娘で、豊臣秀吉の側室である。大坂城の西の丸、のちに伏見城の松の丸に住んだことから「松の丸殿」と呼ばれた。生まれた年ははっきりせず、寛永11年(1634年)に亡くなった。兄は大津城主の京極高次である。
3行でわかる京極竜子
- 京極家の娘で、最初の夫・武田元明を本能寺の変のあとに失った
- 秀吉の側室となり、醍醐の花見では淀殿と盃の順番を争ったと伝わる
- 大坂の陣のあと、処刑された秀頼の子・国松をほうむった
目次
若狭武田家の妻から秀吉の側室へ
竜子は京極高吉と京極マリアの娘で、母は浅井長政の姉にあたる。はじめ若狭の武田元明に嫁いだが、本能寺の変で元明が明智光秀に味方したため、元明は討たれた。
その後、竜子は秀吉の側室となった。兄の京極高次が明智方についた罪を許され、大名に取り立てられたのは、竜子の口ぞえがあったためとも伝わる。
醍醐の花見
慶長3年(1598年)、秀吉は京の醍醐寺で盛大な花見を開いた。このとき、秀吉からの盃を受ける順番をめぐって、竜子と淀殿が争ったという話が伝わる。名門・京極家の出身である竜子と、主家筋にあたる浅井家の娘で秀頼の母である淀殿の、どちらが先かという争いだった。前田利家の妻・まつがその場をおさめたという。
秀吉の死後
秀吉が亡くなると、竜子は兄の京極高次のもとに身を寄せ、関ヶ原の前の大津城の戦いでは城の中にいた。
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣のあとに秀頼の子・国松が処刑されると、竜子はその遺体を引き取って京の誓願寺にほうむったと伝わる。晩年は京で暮らし、寛永11年(1634年)に亡くなった。
京極竜子をめぐる人物
- 兄:京極高次
- 最初の夫:武田元明
- 夫:豊臣秀吉
- 盃を争った相手:淀殿
- ほうむった人:国松(豊臣秀頼の子)
ゆかりの地
- 醍醐寺(京都市伏見区):醍醐の花見が行われた寺
- 誓願寺(京都市中京区):竜子が国松をほうむったと伝わる寺
- 大津城跡(滋賀県大津市):兄・高次の城


京極高次
豊臣秀吉
淀殿
浅井長政
まつ






































