渡辺長 | 元就の身代わりとなった渡辺通の嫡男

わたなべ はかる

地域中国
所属勢力・属性毛利家臣
大名家毛利
家紋―
主武器大槍
衣装・甲冑黒塗具足
武将タイプ勇猛・遺志

毛利氏の譜代家臣。天文12年(1543)に元就の身代わりとなって戦死した渡辺通の嫡男で、幼くして家督を継いだ。神辺合戦・厳島の戦い・門司城の戦いなどに従軍し、関ヶ原の後は周防国広瀬(岩国市)の朝霞城に移った。

目次

父・渡辺通の戦死と家督

渡辺長(わたなべ はじめ)は天文3年(1534)生まれ。渡辺氏は嵯峨源氏の渡辺綱の後裔を称し、代々一字名を名乗った。

父の通は天文12年(1543)、出雲の尼子氏攻め(第一次月山富田城の戦い)の退却戦で、元就の身代わりとなって戦死した。『日本人名大辞典』もこの戦死を記している。祖父の渡辺勝はかつて元就と対立して討たれたとされ、通の戦死は渡辺家の立場を回復させる出来事となった。長は幼くして家督を継ぎ、元就に仕えた。

毛利氏の戦いへの従軍

長は天文17年(1548)の備後神辺合戦で槍働きの功を挙げたとされる。その後も天文20年(1551)の安芸頭崎城、天文21年(1552)の備後志川滝山城の戦いに加わった。

天文24年(1555)の厳島の戦い、永禄4年(1561)の豊前門司城の戦いにも従軍した。天正14年(1586)には豊臣秀吉の九州平定に毛利軍の一員として加わった。天正16年(1588)、豊臣姓と従五位下・飛騨守を与えられたとされる。

周防広瀬での晩年

関ヶ原の戦いの後、毛利氏は周防・長門の2か国に減封された。長は周防国に移り、合計2923石余を与えられて広瀬村(現・山口県岩国市錦町)の朝霞城を居城とした。慶長17年(1612)2月24日、79歳で没した。家督は嫡男の元(土佐守)が継いだ。

岩国市錦町広瀬の長栄寺には、長と夫人、子の元の宝篋印塔(石造の供養塔)3基が残る。「渡辺飛騨守宝篋印塔及び関係宝篋印塔」として岩国市の史跡に指定されている。

ゆかりの地

  • 長栄寺(岩国市錦町広瀬):渡辺長・夫人・子の元の宝篋印塔がある。市指定史跡
  • 朝霞城跡(岩国市錦町広瀬):関ヶ原後の長の居城

参考にした資料

毛利家

主家

毛利元就毛利輝元の肖像イラスト

家臣団

三浦元忠三浦元香乃美宗勝井上元兼井上就一佐波隆秀児玉就忠児玉就方児玉就英出羽元祐南方就定口羽通良国司元武国司元相坂広秀安国寺恵瓊宍戸元秀宍戸隆家市川局市川経好平賀元相平賀広相志道広良桂元澄桂広繁河屋隆秀清水宗治清水宗知熊谷信直熊谷元直熊谷高直益田元祥福原広俊福原貞俊粟屋元秀粟屋元親長屋吉正難波宗徳
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