北条高広 | 上杉謙信に二度背いた厩橋城主。武田・北条・上杉の間をわたり歩いた越後の猛将

北条高広のイラスト(イメージ)

きたじょう たかひろ

地域甲信越(越後)、関東(上野・厩橋)
所属勢力・属性上杉氏(厩橋城代)ほか
大名家北条家(毛利氏の一族)
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプしたたかな猛将

北条高広(きたじょう たかひろ)は、越後の北条(新潟県柏崎市)を本拠とした武将である。小田原の北条(ほうじょう)家とは別の家で、中国地方の毛利家と同じ一族にあたる。生まれた年はわかっておらず、天正15年(1587年)ごろに亡くなったとされる。上杉謙信に仕えて上野の厩橋城をあずかったが、二度にわたって謙信に背いた。

3行でわかる北条高広
  • 越後の北条家の当主で、小田原の北条家とは別の家
  • 上杉謙信に仕えて上野の厩橋城をあずかったが、武田・北条方に寝返ったことがある
  • 謙信の死後の御館の乱では上杉景虎に味方した
目次

謙信への反逆

北条家は、鎌倉幕府の大江広元の子孫の家で、中国地方の毛利家と同じ一族である。高広は勇猛な武将として知られたが、天文23年(1554年)には武田信玄に通じて謙信に背いた。のちに許されて謙信に仕え、上野の厩橋城(群馬県前橋市)をあずかった。

永禄10年(1567年)には、今度は小田原の北条家に寝返った。その後ふたたび上杉家に戻っている。

御館の乱とその後

天正6年(1578年)に謙信が亡くなると、上杉景勝と上杉景虎の家督争い(御館の乱)が起き、高広は景虎についた。景虎が敗れたあとは、武田家、さらに織田家の滝川一益に従うなど、関東の情勢に合わせて主君を変えて生きのびた。

北条高広をめぐる人物

  • 主君:上杉謙信
  • 御館の乱で味方した相手:上杉景虎
  • 同じ一族:毛利元就の毛利家

ゆかりの地

  • 北条城跡(新潟県柏崎市):北条家の本拠
  • 前橋城跡(厩橋城跡)(群馬県前橋市):高広があずかった城
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