ほんだ ただざね
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | 丸に立ち葵 |
| 主武器 | 大槍・酒柄杓 |
| 衣装・甲冑 | 塗具足 |
| 武将タイプ | 豪快・身身代わり |
本多忠勝の叔父。三方ヶ原の戦いで酒柄杓を手に徳川軍の殿を務め、「ここから先は一歩も通さぬ」と武田軍へ突き入って討死。
目次
三方ヶ原の殿・本多忠真
本多忠真(ほんだ ただざね)は、徳川家康に仕えた三河武士で、徳川四天王の一人・本多忠勝の叔父にあたります。三方ヶ原の戦いで徳川軍の殿(しんがり)を務め、甥・忠勝らを逃がすために武田軍へ突き入って壮絶な討ち死にを遂げました。
本多一族の武人
本多氏は、三河以来の徳川譜代の武門でした。本多忠真は、その一族の勇将であり、若き甥・忠勝に武芸を仕込んだ人物とも伝えられます。本多家の武の気風を体現する武人でした。
三方ヶ原の敗戦
元亀3年(1572年)、徳川家康は、西上する武田信玄の大軍と三方ヶ原(みかたがはら)の戦いで激突し、大敗を喫しました。総崩れとなった徳川軍が浜松城へ敗走するなか、誰かが追撃を食い止めねばなりませんでした。
殿を務めて散る
本多忠真は、この絶体絶命の場面で殿を買って出ました。「ここから先は一歩も通さぬ」とばかりに武田の大軍へ突き入り、味方を逃がすために壮絶な討ち死にを遂げたと伝えられます。その捨て身の奮戦が、家康や甥・忠勝らの命を救いました。本多忠真の生涯は、三方ヶ原の殿として一族と主君を守って散った、三河武士の鑑を今に伝えています。















































































