八戸政栄 | 根城南部氏18代当主、南部信直を支えた八戸の領主

はちのへ まさよし

地域陸奥国(青森県八戸市)
所属勢力・属性南部一族(根城南部氏)
大名家南部家
家紋―
主武器槍
衣装・甲冑当世具足
武将タイプ調停・補佐

八戸政栄は、陸奥国八戸(青森県八戸市)の根城を本拠とした根城南部氏(八戸氏)の当主である。天文13年(1544)に生まれ、慶長15年(1610)に没したとされる。三戸南部氏の傘下に入って家を守り、南部信直の家督相続と九戸政実の乱の鎮圧を支えた。

目次

根城南部氏とは

根城は、建武元年(1334)に南部師行が南朝方の拠点の一つとして築いたといわれる城である。この城を本拠とした南部氏の系統を、根城南部氏または八戸氏とよぶ。

師行は、南朝方の北畠顕家に従って陸奥へ下った武将とされる。根城は八戸の地を押さえる要の城となった。

根城南部氏は、南北朝時代から江戸時代のはじめまで、およそ300年にわたって八戸地方を治めた。南部一族の中でも古い家柄である。

根城は本丸を中心に複数の曲輪が並ぶ城で、現在は国の史跡として整備され、当時の建物の一部が復元されている。

5歳で家を継ぐ

政栄は新田行政の子として生まれた。幼名は久松、通称は彦次郎という。

そのころ根城南部氏では、当主が3代続けて若くして亡くなり、家の力が衰えていた。政栄は天文17年(1548)、わずか5歳で18代当主となった。

永禄10年(1567)には、一族の櫛引氏に城を襲われる危機もあった。政栄は三戸南部氏の南部晴政から名の一字を受け、その傘下に入ることで家を保った。

南部信直を支える

やがて南部晴政と、その跡継ぎとされていた南部信直との仲が悪くなった。政栄は両者の間に入って調停にあたった。

晴政が亡くなり、南部家の跡継ぎ選びが問題になると、政栄は北信愛とともに信直を推した。信直が家督を継いだ後も、南部本家の力を固めるために働き、信直をよく支えたとされる。

天正19年(1591)、南部一族の九戸政実が信直に背いて九戸政実の乱が起こると、政栄も信直方として出陣した。この乱は豊臣秀吉が送った大軍によって鎮められた。

その後の根城南部氏

政栄は慶長15年(1610)に没した。南部本家は盛岡藩として江戸時代を迎え、根城南部氏はその家臣となった。

寛永4年(1627)、盛岡藩初代藩主の南部利直の命令で、根城南部氏は遠野(岩手県遠野市)へ領地を移された。これにより根城は歴史的な役目を終えた。根城跡の発掘では、鎧や刀の部品、陶磁器などの生活用具が見つかっている。

ゆかりの地

  • 根城跡(青森県八戸市根城):根城南部氏が約300年本拠とした城跡。国史跡

参考にした資料

八戸政栄とは

八戸政栄は、陸奥の根城南部氏の当主です。

根城南部氏

根城南部氏は、南部家の一族で、八戸の根城を本拠としました。

評価

政栄は、根城南部氏の当主として、南部家の本家を支えた人物です。根城南部氏は、のちに遠野に移りました。

このイラストについて

このイラストは、城と旗を背に立つ政栄を描いています。

落ち着いた表情と口ひげで、南部家の一族を率いた当主の姿を表しました。

背後の城は、根城南部氏の本拠・根城をイメージしています。

※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。

南部家

甲斐源氏の流れをくむとされ、陸奥北部の糠部郡を本拠とした家。南部晴政の代に勢力が最も広がったが、晴政の死後、跡継ぎをめぐって家中が割れた。

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主家

家臣団

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