いまい そうきゅう
| 地域 | 近畿(和泉・堺) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 堺の会合衆・茶人(信長・秀吉の茶頭) |
| 大名家 | 今井家 |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | ―(商人・茶人) |
| 衣装・甲冑 | 茶人の道服 |
| 武将タイプ | 政商・茶人 |
今井宗久(いまい そうきゅう)は、堺の豪商で、茶人としても知られる人物である。永正17年(1520年)に生まれ、文禄2年(1593年)に亡くなった。織田信長が上洛するといち早く名物の茶道具を献上して近づき、鉄砲や火薬の調達などで信長を支えた。千利休・津田宗及とともに信長・秀吉の茶頭を務めた。
3行でわかる今井宗久
- 堺の豪商で、茶人・武野紹鴎の娘婿。堺の自治を担う会合衆の一人だった
- 信長の上洛後、名物を献上して信長に近づき、矢銭をめぐる堺と信長の交渉にもかかわった
- 鉄砲や火薬の調達、但馬の銀山の経営にもかかわり、信長・秀吉の茶頭を務めた
目次
堺の商人と信長
永禄11年(1568年)、上洛した信長は堺に二万貫の矢銭(軍用金)を求めた。堺ははじめ反発したが、宗久は早くから信長に従う姿勢を見せ、名物の茶入「松島」などを献上したと伝わる。こうして宗久は信長の信頼を得て、堺の商人と信長をつなぐ役目を果たした(大河ドラマ「第11回「本圀寺の変」」にも登場)。
鉄砲・火薬と銀山
堺は鉄砲づくりと、火薬の原料となる硝石の取り引きの中心だった。宗久はその流通を握り、信長軍の鉄砲や火薬の調達にかかわったとされる。また、但馬の生野銀山の経営にかかわったともいわれる。
茶人として
宗久は武野紹鴎に茶を学び、その娘を妻とした。信長、ついで秀吉の茶頭を務め、北野大茶湯でも茶をたてた。秀吉の時代には利休が茶の湯の中心となり、宗久はその次の立場だったとされる(「信長と秀吉の茶の湯・文化を比較」参照)。
今井宗久をめぐる人物
- 仕えた天下人:織田信長/豊臣秀吉
- 堺の茶人仲間:千利休/津田宗及
- 茶の師・義父:武野紹鴎
ゆかりの地
- 堺環濠都市(大阪府堺市):宗久ら会合衆が自治を担った港町
- 南宗寺(大阪府堺市):堺の茶人ゆかりの寺










































