つかはら ぼくでん
| 地域 | 関東(常陸・鹿島) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 鹿島神宮の神官の家 → 剣術家 |
| 大名家 | 塚原家(卜部氏) |
| 家紋 | 不詳 |
| 主武器 | 刀 |
| 衣装・甲冑 | 旅装束・具足 |
| 武将タイプ | 剣聖 |
塚原卜伝(つかはら ぼくでん)は、常陸の鹿島(茨城県鹿嶋市)出身の剣豪で、剣術の鹿島新当流を開いた。延徳元年(1489年)に生まれ、元亀2年(1571年)に83歳で亡くなった。諸国をめぐる武者修行で一度も負けなかったと伝わり、将軍・足利義輝や伊勢の北畠具教にも剣を教えた。
3行でわかる塚原卜伝
- 鹿島神宮の神官の家に生まれ、塚原家の養子となった
- 三度にわたる諸国修行で、真剣勝負に一度も負けなかったと伝わる
- 鹿島新当流を開き、足利義輝や北畠具教に剣を伝えた
目次
鹿島の剣
卜伝は鹿島神宮の神官・卜部家に生まれ、塚原城主の塚原家の養子となった。鹿島は古くから武の神をまつる地で、卜伝は実父と養父から剣術を学んだ。
無敗の武者修行
卜伝は生涯に三度、諸国をめぐる武者修行の旅に出た。真剣勝負は19回、戦場に出ること37回で、一度も負けず、傷を負ったのは矢傷だけだったと伝わる。
有名な話に「無手勝流」がある。渡し舟の中で勝負をいどんできた相手を、中州に先に降ろしてそのまま舟を出し、戦わずに勝ったという。むやみに戦わないことこそ兵法の極意だという教えを示した話とされる。
将軍の剣の師
卜伝は京で将軍・足利義輝に剣を教え、伊勢国司・北畠具教にも奥義「一の太刀」を伝えたといわれる。晩年は鹿島に戻り、元亀2年(1571年)に亡くなった。
塚原卜伝をめぐる人物
- 弟子:足利義輝/北畠具教
- 開いた流派:鹿島新当流
- 同時代の剣豪:上泉信綱
ゆかりの地
- 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市):卜伝の生まれた神官の家がつかえた神宮
- 梅香寺跡(塚原卜伝の墓)(茨城県鹿嶋市須賀):卜伝の墓所
- 塚原城跡(茨城県鹿嶋市):卜伝が継いだ塚原家の城


足利義輝
上泉信綱







































