ないとう きよなり
| 地域 | 関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | 丸に下り藤 |
| 主武器 | 太刀・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 奉行・実務 |
徳川秀忠の守り役。新宿御苑の地名の由来(内藤新宿)となった人物で、初期江戸幕府の行政・代官頭として活躍。
目次
徳川秀忠の守役・内藤清成
内藤清成(ないとう きよなり)は、徳川家康に仕えた武将で、家康の三男・徳川秀忠の守り役(もりやく)を務めた人物です。次代の将軍を養育する重責を担った、家康の信任厚い家臣でした。
関東入国と江戸の整備
天正18年(1590年)、徳川家康が関東に入国すると、江戸の町づくりが始まりました。内藤清成は、代官頭として関東の統治にも関わり、初期の江戸幕府の行政を支えました。武功だけでなく、行政の実務にも長けた家臣だったのです。
内藤新宿の由来
内藤清成は、家康から現在の新宿一帯の広大な土地を与えられたと伝えられます。のちにこの内藤家の屋敷地の一部に宿場が設けられ、「内藤新宿(ないとうしんじゅく)」と呼ばれるようになりました。現在の新宿の地名は、この内藤家にちなむものです。また、その屋敷地は、今日の新宿御苑へとつながっていきます。
幕政を支えて
内藤清成は、秀忠の守役として、また代官頭として、初期の江戸幕府を支えました。内藤家は、その後も大名・旗本として続いていきます。内藤清成の生涯は、次代の将軍を養育し、江戸の礎を築いた徳川家臣の姿を——新宿という地名とともに——今に伝えています。


















































































