ひらた みつむね
| 地域 | 薩摩国(鹿児島県) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 島津氏の家臣(家老) |
| 大名家 | 島津氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 戦国期の当世具足 |
| 武将タイプ | 重臣・家老 |
平田光宗は、戦国時代の薩摩国の武将で、島津義久の家老を務めた人物である。平田氏の分家に生まれ、本家を継いで郡山(鹿児島市)などを治めた。島津氏が九州を広く従えた時代に、主君義久を支えた重臣の一人である。
薩摩の平田氏に生まれる
平田氏は、島津家に代々仕えた薩摩の武士の家である。島津氏とは血のつながりのない「異姓」の家だが、のちに何人もの家老を出す有力な家となった。
光宗は、平田氏の分家にあたる平田宗秀の子として生まれた。のちに本家の当主となり、平田家をまとめる立場に立った。
島津義久の家老として
光宗は、島津家16代当主の島津義久に仕え、家老に取り立てられた。家老とは、主君のそばで政治や軍事の大事な決定にかかわる最も重い役目である。家老になった年は、天正3年(1575)とも天正10年(1582)ともされる。
領地としては薩摩の郡山を治めたとされる。家老の役目は、領地を治めることと、主君の命令を家臣たちに行きわたらせることの両方にわたった。
九州制覇から豊臣政権へ
義久は、天正6年(1578)の耳川の戦いで大友氏を破り、その後も肥後や肥前へ勢力を広げた。島津氏は九州の大半を従えるところまで迫った。光宗も家老として、この拡大の時代を支えた。
しかし天正15年(1587)、豊臣秀吉の大軍が九州に攻め込み、義久は降伏した。それからの島津家は、豊臣政権の大名として新しい時代に向き合うことになる。家老たちは、上方との交渉や国内の立て直しという難しい仕事を担った。
平田家のその後
平田氏からは、光宗のほかにも家老が出た。本家の平田増宗も文禄2年(1593)ごろに義久の家老となった人物である。島津家の家老は、主君の一族とは血のつながりのない家からも多く選ばれた。平田氏はそうした家の代表の一つである。
しかし増宗は、慶長15年(1610)に入来で討たれ、これによって平田氏の本家は絶えたとされる。島津家の家老の家は、主君家のなかの対立にまきこまれることもあった。平田氏の歩みは、戦国から江戸へ移るころの薩摩の厳しさをよく伝えている。
参考にした資料
島津義久の家老
光宗は、薩摩の島津義久の家老を務めた人物です。
平田家
平田家は、島津家に代々仕えた薩摩の武士の家です。島津家とは血のつながりのない「異姓」の家でしたが、のちに何人もの家老を出す有力な家となりました。
分家から本家へ
光宗は、平田家の分家にあたる平田宗秀の子として生まれ、のちに本家を継ぎました。
郡山を治める
光宗は、薩摩の郡山(現在の鹿児島市)などを治めたとされます。
島津家の勢力拡大
光宗が仕えた義久の時代、島津家は薩摩・大隅・日向を統一し、さらに九州のほとんどを手に入れるほどの勢いとなりました。
家老として
光宗は、義久のもとで家老として家の政治を担いました。
義久の家老たち
義久のもとには、伊集院忠棟・喜入季久・上井覚兼など、多くの有能な家老がいました。光宗もその一人でした。
豊臣秀吉の九州平定
1587年、秀吉が九州を平定し、島津家は秀吉に従いました。
豊臣政権のもとで
秀吉に従った後の島津家は、朝鮮出兵など、豊臣政権の重い負担を背負うことになりました。
家中のまとめ役
光宗は、こうした難しい時代に、家中をまとめる家老の一人として島津家を支えたとされます。
最期
光宗の晩年や最期の詳しいことについては、はっきりしない部分もあります。
平田家のその後
平田家は、その後も島津家の家老を出す家として続きました。
薩摩の武士団
島津家の武士団は、一門の家と、平田家のような異姓の家臣の家によって支えられていました。
異姓の家老
血のつながりのない家から家老が出たことは、島津家が能力のある家臣を重く用いたことを示しています。
光宗の評価
光宗は、平田家の分家から本家を継ぎ、島津義久の家老として家を支えた人物です。島津家の九州制覇の時代を、政治の面から支えました。
このイラストについて
甲冑姿の武将が、川の流れる山あいの土地と山城を背にした姿です。
背景の山あいの土地と山城は、光宗が仕えた島津家の本拠・薩摩の風景をイメージしています。落ち着いた表情は、家老として家の政治を担った光宗を表しています。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
鎌倉時代から薩摩・大隅・日向の守護を務めた名門。戦国時代の初めには一族の分家どうしが争って勢力が分裂していたが、分家の相州家から出た島津忠良(日新斎)と子の貴久が本家を継ぎ、薩摩の統一を進めた。
島津家の歴史と武将一覧を見る →

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