真田大助(幸昌) | 真田幸村の嫡男。九度山で生まれ、大坂城で秀頼とともに十代で命を落とした

真田大助のイラスト(イメージ)

さなだ だいすけ

地域近畿(紀伊九度山・大坂)
所属勢力・属性豊臣氏(大坂方)
大名家真田家
家紋六文銭
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ若き武将

真田大助(さなだ だいすけ)は、真田幸村(信繁)の嫡男である。名は幸昌と伝わる。慶長6年(1601年)ごろ、父が流されていた紀伊の九度山で生まれたとされる。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で、豊臣秀頼に従って大坂城で亡くなった。まだ十代半ばだった。

3行でわかる真田大助
  • 父・幸村が九度山に流されていたあいだに生まれた
  • 父とともに大坂城に入り、冬の陣・夏の陣を戦った
  • 父の命で秀頼のそばに戻り、秀頼とともに自害した
目次

九度山に生まれる

関ヶ原の戦いのあと、真田昌幸と幸村は紀伊の九度山(和歌山県九度山町)に流された。大助はそこで生まれ、貧しいながらも祖父や父のもとで育った。

大坂の陣

慶長19年(1614年)、幸村は九度山を抜け出して大坂城に入り、大助も父に従った。冬の陣では、父が築いた真田丸の戦いにも加わったとされる。

夏の陣の道明寺の戦いでは、大助も奮戦して傷を負ったと伝わる。

秀頼に殉じる

慶長20年(1615年)5月7日、幸村は最後の決戦を前に、大助を大坂城に戻らせ、秀頼の出陣をうながす役目と、秀頼のそばを守る役目を与えた。幸村が徳川家康の本陣に突撃して討死したあと、大坂城は落城した。

大助は城を出るようすすめられても応じず、5月8日、秀頼や淀殿とともに自害したと伝わる。

真田大助をめぐる人物

  • 父:真田幸村(信繁)
  • 祖父:真田昌幸
  • 伯父:真田信之
  • 主君:豊臣秀頼

ゆかりの地

  • 真田庵(善名称院)(和歌山県伊都郡九度山町):真田父子が暮らした屋敷跡と伝わる寺
  • 三光神社(真田丸跡付近)(大阪市天王寺区):父が築いた真田丸の近く
  • 大阪城(大阪市中央区):秀頼とともに最期を迎えた城
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