ほんだ まさのぶ
| 地域 | 東海・関東 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 徳川家臣 |
| 大名家 | 徳川 |
| 家紋 | 丸に立ち葵 |
| 主武器 | 智謀の書・数珠 |
| 衣装・甲冑 | 平服・軽具足 |
| 武将タイプ | 「腹黒」・大参謀 |
家康の最高参謀。三河一向一揆から復帰後、卓越した頭脳で江戸幕府の幕藩体制を設計。
目次
家康の最高参謀・本多正信
本多正信(ほんだ まさのぶ)は、徳川家康に仕えた武将で、その卓越した知謀によって家康の最高参謀と称された人物です。武功ではなく、政略と行政の才によって家康を支え、江戸幕府の統治体制の設計に深く関わりました。
三河一向一揆と出奔
若き日の本多正信は、主君・家康に反旗を翻した三河一向一揆(永禄6年〜7年)に加わり、一時は家康のもとを去りました。放浪の末、のちに帰参を許され、以後は家康の側近として厚い信任を得ていきます。かつての反逆者が最高参謀へと転じた、異色の経歴でした。
謀臣としての活躍
本多正信は、武辺一辺倒の三河武士のなかにあって、政略と行政をもって家康を支える「謀臣」でした。その智謀は家中で一目置かれ、時に「腹黒い」と評されながらも、家康の天下取りを陰で支える不可欠の存在となります。
幕藩体制の設計
関ヶ原の戦いを経て徳川の世が到来すると、本多正信は江戸幕府の幕藩体制の骨格づくりに携わりました。大名の統制や諸制度の整備など、二百六十余年続く徳川支配の礎を、その頭脳で設計したのです。本多正信の生涯は、一度は主君に背きながら復帰し、知謀をもって江戸幕府の体制を築いた参謀の姿を今に伝えています。














































































