はつ(じょうこういん)
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 浅井・京極 |
| 大名家 | 京極氏 |
| 家紋 | 浅井三つ盛亀甲 |
| 主武器 | 懐剣 |
| 衣装・甲冑 | 打掛 |
| 武将タイプ | 和平の姫 |
お初(はつ)、のちの常高院は、浅井長政とお市の方の間に生まれた浅井三姉妹の次女である。姉に茶々(淀殿)、妹にお江(崇源院)を持ち、自身は近江の名門・京極家に嫁いだ。姉が豊臣、妹が徳川に入るなか、お初は両家のはざまに立ち、後年の大坂の陣では豊臣と徳川の和睦に奔走する「橋渡し役」として、その名を歴史に刻んだ。
- 浅井長政とお市の次女(1570年生まれとされるが諸説ある)。従兄にあたる京極高次に嫁いだ
- 関ヶ原の戦いでは夫とともに大津城に籠城。高次はのちに若狭小浜藩主となった
- 大坂冬の陣では豊臣方の使者として徳川方と和睦を交渉し、姉の淀殿と妹のお江の間を取り持った。寛永10年(1633年)没
浅井三姉妹の次女として
お初もまた、姉妹とともに二度の落城を経験した。父・浅井長政を小谷城で、母・お市を北ノ庄城で失い、その後は豊臣秀吉の保護を受けて成長する。やがてお初は、母方の縁も深い近江源氏の名門・京極家の京極高次に嫁いだ。京極家はかつて浅井家の主筋にあたる由緒ある家であり、この結婚は没落していた名門どうしの結びつきでもあった。
京極高次の妻として ― 大津城の攻防
お初の夫・京極高次は、関ヶ原の戦いにおいて重要な役割を果たす。慶長五年(一六〇〇年)、高次は居城・大津城に籠もって西軍の大軍を引きつけ、これを長く足止めした。この大津城の攻防は、西軍の兵力を関ヶ原の本戦から逸らす結果となり、東軍勝利の一因になったとも評価される。妻・お初もまた、激動の関ヶ原を城とともに生き抜いた。夫の死後、お初は出家して常高院と名乗る。
大坂の陣 ― 豊臣と徳川をつなぐ
お初の生涯で最も輝くのが、大坂の陣における和睦交渉である。姉・淀殿が守る豊臣方と、妹・江が正室となった徳川方—実の姉妹が敵味方に分かれるなか、常高院となったお初は、両者の間を取り持つ使者として奔走した。冬の陣の和議では、豊臣方の代表として徳川方と交渉のテーブルに着いている。肉親どうしの戦を、なんとか穏便に収めようとするお初の姿は、戦乱の時代における「和」の象徴として、今も人々の心を打つ。
姉妹の絆を生きた人
大坂の陣の後、豊臣家は滅び、姉・淀殿は世を去った。それでもお初=常高院は、姉の遺志を継ぐように、豊臣家ゆかりの人々の面倒を見つづけたと伝わる。三姉妹のなかで、華々しい権勢を誇った姉、将軍家の御台所となった妹に対し、お初は目立たぬながらも、最後まで「姉妹の絆」を体現した人であった。敵味方に引き裂かれた家族をつなぎとめようとしたその生き方は、戦国の女性が果たしたもう一つの役割を、静かに教えてくれる。
お初をめぐる人物
ゆかりの地
- 常高寺(福井県小浜市):お初が寛永7年(1630年)に開いた寺で、墓所がある
- 大津城跡(滋賀県大津市):関ヶ原の戦いで夫・高次とともに籠城した城。湖岸に石碑が立つ
- 小谷城跡(滋賀県長浜市):三姉妹が生まれ育った城
このイラストについて
このイラストは、水辺の城が見える部屋で、打掛をまとったお初を描いています。
穏やかで思慮深い表情で、姉の淀殿と妹の江の間に立ち、両家の和平に心を尽くした女性の姿を表しました。
窓の外の城は、お初が京極高次の妻として暮らした城をイメージしています。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
この人物をもっと知る本
- 【新書】福田千鶴『豊臣家の女たち』(岩波新書):お初を「豊臣と徳川の橋渡し」として取り上げた章がある
- 【新書】黒田基樹『お市の方の生涯』(朝日新書):母お市の生涯から三姉妹の出発点がわかる
北近江の小谷城を本拠とした家。浅井亮政が主家の京極氏をしのいで力をつけ、浅井長政の代には織田信長の妹お市の方を妻に迎えて信長と同盟を結んだ。
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