お初(常高院)|浅井三姉妹の次女。京極高次に嫁ぎ、大坂の陣で豊臣と徳川の和睦に奔走した姫

お初

はつ(じょうこういん)

地域近畿
所属勢力・属性浅井・京極
大名家京極氏
家紋浅井三つ盛亀甲
主武器懐剣
衣装・甲冑打掛
武将タイプ和平の姫

お初(はつ)、のちの常高院は、浅井長政お市の方の間に生まれた浅井三姉妹の次女である。姉に茶々(淀殿)、妹にお江(崇源院)を持ち、自身は近江の名門・京極家に嫁いだ。姉が豊臣、妹が徳川に入るなか、お初は両家のはざまに立ち、後年の大坂の陣では豊臣と徳川の和睦に奔走する「橋渡し役」として、その名を歴史に刻んだ。

目次

浅井三姉妹の次女として

お初もまた、姉妹とともに二度の落城を経験した。父・浅井長政を小谷城で、母・お市を北ノ庄城で失い、その後は豊臣秀吉の保護を受けて成長する。やがてお初は、母方の縁も深い近江源氏の名門・京極家の京極高次に嫁いだ。京極家はかつて浅井家の主筋にあたる由緒ある家であり、この結婚は没落していた名門どうしの結びつきでもあった。

京極高次の妻として ― 大津城の攻防

お初の夫・京極高次は、関ヶ原の戦いにおいて重要な役割を果たす。慶長五年(一六〇〇年)、高次は居城・大津城に籠もって西軍の大軍を引きつけ、これを長く足止めした。この大津城の攻防は、西軍の兵力を関ヶ原の本戦から逸らす結果となり、東軍勝利の一因になったとも評価される。妻・お初もまた、激動の関ヶ原を城とともに生き抜いた。夫の死後、お初は出家して常高院と名乗る。

大坂の陣 ― 豊臣と徳川をつなぐ

お初の生涯で最も輝くのが、大坂の陣における和睦交渉である。姉・淀殿が守る豊臣方と、妹・江が正室となった徳川方――実の姉妹が敵味方に分かれるなか、常高院となったお初は、両者の間を取り持つ使者として奔走した。冬の陣の和議では、豊臣方の代表として徳川方と交渉のテーブルに着いている。肉親どうしの戦を、なんとか穏便に収めようとするお初の姿は、戦乱の時代における「和」の象徴として、今も人々の心を打つ。

姉妹の絆を生きた人

大坂の陣の後、豊臣家は滅び、姉・淀殿は世を去った。それでもお初=常高院は、姉の遺志を継ぐように、豊臣家ゆかりの人々の面倒を見つづけたと伝わる。三姉妹のなかで、華々しい権勢を誇った姉、将軍家の御台所となった妹に対し、お初は目立たぬながらも、最後まで「姉妹の絆」を体現した人であった。敵味方に引き裂かれた家族をつなぎとめようとしたその生き方は、戦国の女性が果たしたもう一つの役割を、静かに教えてくれる。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次