立花宗茂 | 道雪の養子。西国無双と秀吉に称賛され関ヶ原で改易されるも奇跡の旧領復帰を果たした名将

たちばな むねしげ

地域九州
所属勢力・属性立花氏
大名家立花氏
家紋祇園守
主武器陣太刀・弓
衣装・甲冑金箔押桃形兜
武将タイプ西国無双・高潔

立花宗茂は豊後の名将・高橋紹運の長男として生まれ、大友氏配下の猛将として知られた立花道雪に才を見込まれてその養子となった。道雪の跡を継いで筑後柳川の立花山城主となると、若くしてその武勇と統率力は九州随一と称されるようになる。

1586年、島津氏による九州侵攻に際しては、実父・高橋紹運が籠もる岩屋城が壮絶な玉砕を遂げる中、宗茂は立花山城を守り抜き、豊臣秀吉の九州征伐軍の先鋒として島津軍を撃退する武功を挙げた。この働きを秀吉から高く評価され、「其の忠義、鎮西一」「西国無双」と称賛されたと伝えられる。

文禄・慶長の役では朝鮮に出兵し、明・朝鮮連合軍相手に幾度も勝利を収めるなど、実戦においても卓越した指揮能力を発揮した。関ヶ原の戦いでは西軍に与したため、戦後は改易となり柳川13万石を失うという苦境に立たされる。

改易後は浪人となり困窮するが、剣術指南や加藤清正の庇護を受けるなどして糊口をしのぎつつ、旧領復帰を諦めなかった。大坂の陣では徳川方として参陣し、その武功と誠実な人柄が評価されて、1620年、旧領である柳川へ大名として復帰するという、戦国大名としては極めて異例の返り咲きを果たした。

改易から旧領復帰を成し遂げた武将は宗茂をおいて他になく、その高潔な人柄と武勇は徳川将軍家からも厚く信頼され、江戸城内でも重んじられた。奥州相馬への出兵にも参加するなど老いてなお現役の武将として活躍し、1642年に76歳で大往生を遂げた、まさに「不屈の武将」と呼ぶにふさわしい生涯であった。

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