わだ これまさ
| 地域 | 近畿 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 室町幕府・織田系 |
| 大名家 | 室町幕府 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀・十字架 |
| 衣装・甲冑 | 華美具足 |
| 武将タイプ | キリシタン・名将 |
甲賀出身で足利義昭・織田信長に仕えた摂津和田城主。キリシタンを擁護し京の政局を支えたが、白井河の戦いで討死。
甲賀の和田氏
惟政は近江の甲賀を本拠とした和田氏の出身です。和田氏は甲賀の有力な土豪の一つで、室町幕府にも仕えていました。
幕府の奉公衆
惟政は将軍足利義輝に仕える幕府の奉公衆でした。将軍の近くに仕え、その身辺を守る役目を担っていました。
永禄の変
1565年、将軍義輝が三好三人衆らに殺される永禄の変が起こりました。義輝の弟で奈良の寺にいた覚慶(のちの足利義昭)も、危険な立場に置かれました。
義昭の救出
惟政は細川藤孝らとともに、奈良に閉じ込められていた覚慶を救い出しました。そして甲賀の和田館に覚慶をかくまいました。
義昭を支える
覚慶は還俗して足利義昭と名乗り、将軍の座を目指すことになります。惟政は義昭を支え、各地の大名に協力を求めて奔走しました。
織田信長との交渉
惟政は義昭の上洛を実現するため、織田信長との交渉にもあたりました。1568年、信長は義昭を奉じて上洛し、義昭は15代将軍となりました。
摂津の守り
上洛後、惟政は摂津の高槻城などを任され、池田勝正・伊丹親興とともに「摂津三守護」と呼ばれました。
キリスト教の保護
惟政は、宣教師ルイス・フロイスら宣教師の活動を保護したことで知られます。自らは洗礼を受けなかったものの、キリスト教に深い理解を示しました。
フロイスとの交流
フロイスは著書『日本史』の中で、惟政を高く評価して記しています。宣教師が信長に面会できたのも、惟政の取りなしによるところが大きかったとされます。
摂津の争い
摂津では、池田家の家臣だった荒木村重や中川清秀が力を伸ばしていました。惟政は彼らと対立するようになります。
白井河原の戦い
1571年、惟政は白井河原で荒木村重・中川清秀の軍と戦いました。この戦いで惟政は敗れ、討死しました。
和田家のその後
惟政の死後、子の惟長が跡を継ぎましたが、まもなく家臣の高山右近らとの争いが起こり、高槻城を追われました。
高槻と高山右近
惟政の死後、高槻城は高山右近の父子のものとなりました。キリスト教を保護した惟政の後を、キリシタン大名の右近が継いだことになります。
甲賀の和田館
惟政が義昭をかくまった甲賀の和田館の跡は、滋賀県甲賀市に残されています。
将軍家への忠誠
惟政は、主君の義輝を殺された後も、その弟義昭を支えて将軍の座に就かせました。将軍家への忠誠を貫いた幕臣でした。
戦国の幕臣
戦国時代の幕臣たちは、将軍の力が衰える中で、大名との交渉や将軍の擁立に奔走しました。惟政はその代表的な人物の一人です。
惟政の評価
惟政は、足利義昭を救い出して将軍の座に導き、キリスト教を保護した幕臣です。その働きは、信長の上洛という戦国時代の大きな転機に深く関わっていました。
このイラストについて
十字の飾りのついた兜をかぶった武将が、城を背にした姿です。
惟政は自ら洗礼を受けたわけではありませんが、宣教師ルイス・フロイスらを保護し、キリスト教に深い理解を示した人物でした。兜の十字は、こうした惟政とキリスト教の関わりを表すために描いた想像の意匠です。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
室町幕府の将軍と、その近くに仕えた人々。応仁の乱の後、将軍の力は大きく衰え、戦国時代には細川氏・三好氏などの有力者に担がれる存在となった。
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