のみ むねかつ
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣・小早川系 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | 丸に三つ引 |
| 主武器 | 太刀・水軍旗 |
| 衣装・甲冑 | 水軍重厚具足 |
| 武将タイプ | 小早川水軍・英雄 |
小早川隆景の右腕。浦宗勝の名でも知られ、小早川水軍を率いて第一次木津川口の戦いで織田水軍を壊滅させた。
小早川水軍の指揮官
乃美宗勝は、安芸国沼田(ぬた)を本拠とする小早川氏の重臣であり、浦宗勝の名でも知られる。毛利元就の三男・小早川隆景が小早川家を継いで水軍を編成すると、宗勝はその中核となって瀬戸内の海上戦力を指揮した。小早川水軍は村上水軍とも連携し、毛利氏の制海権を支える柱となった。
第一次木津川口の戦い
天正四年(1576)、織田信長に包囲された大坂本願寺を海路から支援するため、毛利水軍が出撃した。摂津木津川口で織田方の水軍と激突したこの戦い(第一次木津川口の戦い)で、宗勝ら毛利・村上の水軍は焙烙(ほうろく)火矢などを駆使して織田水軍を打ち破り、本願寺への兵糧搬入を成功させた。宗勝はこの海戦で中心的な役割を果たした。
毛利水軍の戦術
瀬戸内の水軍は、潮の流れを読み、小回りのきく関船や小早を巧みに操って敵船に接近し、焙烙火矢で焼き討ちにする戦法を得意とした。宗勝はこうした海の戦いに精通した指揮官であり、後に織田方が鉄甲船で臨んだ第二次木津川口の戦いでは苦戦を強いられたものの、毛利水軍の強さを天下に示した立役者であった。
晩年と乃美氏
毛利氏が織田・豊臣政権と和睦し、天下が統一に向かうと、水軍の役割も変質していった。宗勝は小早川隆景に従い続け、その海軍力は九州平定や朝鮮出兵の際にも活用された。乃美(浦)氏は小早川家、のちには毛利家中でその名を伝え、瀬戸内水軍を率いた宗勝の武名は後世に残された。
瀬戸内水軍の終焉と近世
戦国の世が終わりに近づくと、豊臣秀吉は海賊停止令を発して独立した海の武力を抑え込み、瀬戸内の水軍衆は大名の家臣団のなかへと組み込まれていった。乃美宗勝が率いた小早川水軍もその例外ではなく、やがて大名の指揮下にある水軍部隊へと変質した。海の合戦に生きた宗勝の生涯は、独立した海賊衆が近世的な軍隊へと再編されていく過渡期を体現するものであった。































































