毛利家– tax –

安芸の一国人にすぎなかった毛利氏を、元就が一代で中国地方の覇者へ押し上げた。出雲の尼子氏と周防の大内氏という二大勢力に挟まれながら、次男元春を吉川家へ、三男隆景を小早川家へ送り込んで両家を一門化し、「毛利両川」と呼ばれる体制を作った。
1555年の厳島の戦いで大内家の実権を握っていた陶晴賢を破り、続く防長経略で周防・長門を併合。1566年には月山富田城の尼子義久を降して、中国地方の大半を支配下に置いた。
元就の孫輝元の代には織田信長と対立し、備中高松城の攻防のさなかに本能寺の変を迎えて羽柴秀吉と和睦した。その後は豊臣政権の五大老の一人となるが、関ヶ原の戦いで西軍の総大将に担がれ、戦後は周防・長門の二か国に減封された。この長州藩が幕末に再び歴史の表舞台に立つことになる。

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