いい なおみつ
| 地域 | 東海 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 井伊氏 |
| 大名家 | 井伊氏 |
| 家紋 | 丸に橘 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 悲壮・密謀 |
井伊直親の父。今川家への謀反の疑いを掛けられ、今川義元の命によって無念の謀殺を遂げた。
井伊家の一族
直満は、遠江の井伊谷を治めた井伊家の一族です。井伊家の当主である井伊直宗の弟にあたります。
井伊家と今川家
井伊家は、駿河の今川家に従う国衆でした。
井伊家の重臣
直満は、兄の直宗を支える井伊家の重臣として、家の中で重い立場にありました。
井伊直親の父
直満の子は、のちに井伊家を継ぐ井伊直親です。
直親と直虎の婚約
井伊家では、直宗の子である直盛に男の子がいなかったため、直満の子の直親を直盛の娘(のちの井伊直虎)と結婚させて家を継がせる話が進んでいたとされます。
謀反の疑い
1544年、直満と弟の直義は、今川家に謀反を企てているとの疑いをかけられました。
小野道高の讒言
この疑いは、井伊家の家老である小野道高が今川家に訴えたことによるものと伝えられます。
駿府での最期
直満と直義は、弁明のため駿府に向かいましたが、今川家によって殺されました。
直親の逃亡
直満の子の直親も命を狙われ、信濃の伊那に逃れて身を隠しました。
直親の帰還
約10年後、直親は井伊谷に戻り、井伊家を継ぎました。
悲劇の連鎖
しかし直親も、1562年に今川家に謀反を疑われ、討たれてしまいました。父と子が二代にわたって同じ運命をたどったのです。
井伊家の苦難
井伊家は、今川家に従う中で、多くの一族を失いました。この苦難の時代を支えたのが、井伊直虎でした。
孫の井伊直政
直満の孫にあたる井伊直政は、のちに徳川家康に仕え、徳川四天王の一人として大きく活躍しました。
龍潭寺
井伊谷にある龍潭寺は、井伊家の菩提寺で、井伊家の一族の墓所が残されています。
弟の井伊直義
直満とともに命を落とした弟の直義も、井伊家の一族として家を支えていました。兄弟がそろって失われたことは、井伊家にとって大きな痛手でした。
井伊谷という土地
井伊谷は、現在の静岡県浜松市浜名区引佐町のあたりにあり、井伊家が平安時代の末から本拠としてきた土地です。
今川家と国衆
今川家は、遠江の国衆を従えながらも、その動きを厳しく見張っていました。直満の死は、国衆が大名に従うことの難しさを示す出来事でもありました。
井伊直平
直満の父の井伊直平は、井伊家の当主として長く家を支えた人物です。直平は、一族の多くを失う悲劇を見届けることになりました。
信濃の伊那
直親が逃れた信濃の伊那には、直親が身を寄せたと伝えられる寺が残されています。
井伊家の菩提
井伊谷の龍潭寺には、直満をはじめ、井伊家の人々の墓所が並んでいます。
直満の評価
直満は、井伊家の一族として家を支えながら、今川家に謀反を疑われて命を落とした人物です。その悲劇は、子の直親、孫の直政へと続く井伊家の物語の出発点となりました。
このイラストについて
甲冑姿の武将が、月の浮かぶ夜空と城門を背にした姿です。
夜の城門と月は、謀反の疑いをかけられ、駿府へと向かった直満の運命をイメージしています。直満は、弁明のために駿府に向かい、そこで命を落としました。静かな夜の場面に、その悲劇を重ねて描いています。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
遠江の井伊谷を本拠とした国衆。戦国時代には今川氏に従ったが、桶狭間の戦いで当主の井伊直盛が戦死し、続く直親も今川氏真に謀反を疑われて殺されるなど、当主が相次いで命を落とした。
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