甲斐姫 | 忍城の姫武者。石田三成の水攻めに耐え、のちに秀吉の側室となったと伝わる「東国一の美女」

甲斐姫のイラスト(イメージ)

かいひめ

地域関東(武蔵・忍)
所属勢力・属性成田氏(成田氏長の娘)、豊臣秀吉の側室
大名家成田家
家紋不詳
主武器薙刀・刀(伝承)
衣装・甲冑具足・小袖
武将タイプ姫武者

甲斐姫(かいひめ)は、武蔵の忍城主・成田氏長の娘である。元亀3年(1572年)ごろに生まれたとされ、亡くなった年はわかっていない。天正18年(1590年)の小田原征伐で、石田三成の水攻めに耐えた忍城の戦いで活躍したと伝わる。のちに豊臣秀吉の側室になったとされる。武勇の話の多くは軍記物などに記された伝承である。

3行でわかる甲斐姫
  • 忍城主・成田氏長の娘で、「東国一の美女」と呼ばれたと伝わる
  • 小田原征伐のとき、石田三成の水攻めに耐えた忍城で戦ったとされる
  • 忍城の開城後、豊臣秀吉の側室になったと伝わる
目次

忍城の姫

甲斐姫の父・成田氏長は、北条家に従う武蔵の国衆で、忍城(埼玉県行田市)を本拠とした。甲斐姫は美しく、武芸にもすぐれていたと伝わる。

忍城の戦い

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は北条家を攻めた(小田原征伐)。城主の氏長は小田原城に入っていたため、忍城は一族の成田長親らが守った。

石田三成は忍城のまわりに堤(石田堤)を築き、水を引き入れて城を沈める水攻めを行ったが、城は落ちなかった。甲斐姫も兵をひきいて戦ったと伝わる。結局、小田原城が先に降伏し、忍城もそれにならって開城した。

秀吉の側室に

戦いのあと、氏長は会津の蒲生氏郷にあずけられた。そこで起きた家臣の反乱を甲斐姫がしずめたという話も伝わる。その後、甲斐姫は秀吉の側室になったとされ、そのおかげで氏長は下野の烏山城主として大名に返り咲いたともいわれる。

秀吉の死後の甲斐姫の消息は、はっきりしない。大坂城で秀頼の娘を守ったとする説もある。

甲斐姫をめぐる人物

  • 父:成田氏長
  • 忍城を守った一族:成田長親
  • 戦った相手:石田三成
  • 夫:豊臣秀吉

ゆかりの地

  • 忍城跡(行田市郷土博物館)(埼玉県行田市):甲斐姫が戦ったと伝わる城
  • 石田堤(埼玉県行田市・鴻巣市):水攻めのために三成が築いた堤の跡
  • 烏山城跡(栃木県那須烏山市):父・氏長がのちに城主となった城
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