ますだ もとよし
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 黒塗具足 |
| 武将タイプ | 名家老・財政 |
益田藤兼の子。毛利輝元の重臣となり、関ヶ原の減封後に長州藩の巨大な財政再建を成功させた名家老。
目次
長州藩の財政を再建した益田元祥
益田元祥(ますだ もとよし)は、中国地方の覇者・毛利氏に仕えた重臣で、石見の雄・益田藤兼の子です。毛利輝元の重臣として、とりわけ関ヶ原ののちの藩財政の再建に大きな功績を残しました。
石見の名族・益田氏
益田氏は、石見西部に勢力を張った石見随一の国人で、毛利氏の傘下でその西の要を担いました。益田元祥は、その名族の当主として、毛利家中で重きをなしました。
関ヶ原後の大減封
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、毛利氏は西軍の総大将に担がれた責を問われ、中国十カ国の大版図から長門・周防の二国へと大きく減封されてしまいます。石高が激減するなか、藩の財政は破綻の危機に瀕しました。
長州藩の財政再建
益田元祥は、この長州藩の巨大な財政再建という難事業を成し遂げました。検地や新田開発、支出の見直しなどを通じて、大減封で傾いた藩財政を立て直したのです。この再建があったからこそ、長州藩は幕末まで存続し、やがて明治維新の原動力ともなりました。益田元祥の生涯は、大減封の危機から長州藩を救った、名財政家の手腕を今に伝えています。




























































