くまがい たかなお
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 大槍 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・継承 |
熊谷高直は安芸の国人・熊谷信直の子で、通称を帯刀という。父とともに毛利氏に仕え、弘治元年(1555年)に始まる防長経略では須々万沼城の攻略に加わった。所領の三入八幡神社に梵鐘を寄進し、天正7年(1579年)に父に先立って死去した。
目次
安芸熊谷氏と毛利氏
熊谷高直は大永7年(1527年)、安芸の国人・熊谷信直の子として生まれた。通称は帯刀である。熊谷氏は鎌倉時代の熊谷直実の流れをくむとされ、安芸国三入(今の広島市安佐北区)を本拠とした。
父の信直は毛利元就と結び、娘は元就の次男・吉川元春に嫁いだ。高直は元春の義兄弟にあたる。熊谷氏は毛利氏を支える有力な国人の一つであった。
防長経略への参加
弘治元年(1555年)、毛利氏は厳島の戦いで陶晴賢を破り、大内氏の領国であった周防・長門へ攻め入った。これを防長経略という。
高直はこの戦いで、周防の須々万沼城(今の山口県周南市)の攻略戦に加わった。須々万沼城は周囲を沼に囲まれた城で、毛利軍は攻略に手間取ったことで知られる。
三入での活動と死去
高直は本拠の三入高松城のふもとに土居屋敷(平時の館)を構えたとされる。元亀3年(1572年)には、所領の三入八幡神社に梵鐘を寄進した。この梵鐘は広島市の重要有形文化財に指定されている。
高直は天正7年(1579年)に死去した。父の信直より先に亡くなったため、家は子の熊谷元直が継いだ。元直は関ヶ原の戦いの後、毛利氏の萩移転に従っている。
ゆかりの地
- 三入高松城跡(広島市安佐北区):熊谷氏の本拠の山城
- 三入八幡神社(広島市安佐北区):高直が寄進した梵鐘が伝わる
































































