ひらが もとすけ
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | 丸に三ツ柏 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 老練・長寿 |
平賀広相の子。毛利輝元に仕えて各地を転戦。関ヶ原の戦い後も生き残り長寿を全うした。
目次
安芸の国人・平賀氏
平賀元相(ひらが もとすけ)は、安芸国(現在の広島県)の国人・平賀氏の武将です。平賀氏は安芸東部に勢力を張った有力な国人で、戦国期には毛利・尼子・大内といった大勢力のはざまで、たびたび難しい選択を迫られました。
毛利氏への従属
毛利元就が安芸から中国地方全域へと勢力を広げていくなかで、平賀氏もその傘下に組み込まれていきました。元就は、こうした在地の国人たちを、時に武力で、時に調略や婚姻によって従え、その力を毛利の版図拡大の原動力としたのです。
尼子氏との攻防
安芸の国人たちにとって、出雲の尼子氏との戦いは避けて通れないものでした。天文9年(1540年)の吉田郡山城の戦いをはじめ、尼子の大軍が安芸へ攻め込む局面で、平賀氏のような国人たちは毛利方として防戦にあたりました。
毛利家臣団の一員として
尼子氏の滅亡と毛利氏の飛躍により、平賀氏は中国地方の覇者・毛利氏の家臣団の一員として、その体制を支えていきました。平賀元相の生涯は、大勢力にはさまれた安芸の国人が、やがて毛利のもとで生きる道を選んでいく戦国の姿を映しています。

































































