伊達晴宗 | 天文の乱を制し奥州探題となった伊達15代

だて はるむね

地域東北
所属勢力・属性伊達氏第15代・奥州探題
大名家伊達氏
家紋竹に雀
主武器太刀・采配
衣装・甲冑奥州探題大将具足
武将タイプ決断・再編

伊達氏第15代当主。天文11年から父稙宗と争った天文の乱に勝ち、居城を米沢に移して家臣への知行判物を一斉に交付し、家中を再編した。弘治元年に左京大夫となり、その後奥州探題に任じられた。永禄7年頃に家督を輝宗に譲り、杉目城に隠居した。

目次

天文の乱

伊達晴宗(だて はるむね)は永正16年(1519)に生まれた。伊達稙宗の長男である。稙宗は婚姻や養子縁組を通じて周辺の諸家と結び、伊達氏の勢力を広げていた。

天文11年(1542)、稙宗は三男の実元を越後守護上杉定実の養子とし、精鋭の家臣を付けようとした。晴宗はこれに反対し、父を桑折西山城に幽閉した。こうして伊達氏天文の乱が始まった。背景には領国経営の方針の違いや、稙宗の段銭(田地にかける税)徴収への家臣の不満もあったとされる。

家中の再編

乱では、最上・蘆名・相馬など稙宗と姻戚関係にある諸家が稙宗方に付き、前半は稙宗方が優勢だった。やがて晴宗方に転じる者が増え、天文17年(1548)9月に和睦した。稙宗は家督を晴宗に譲り、丸森城に隠居した。

晴宗は居城を出羽の米沢に移した。天文22年(1553)には家臣に知行判物(所領を認める文書)を一斉に交付し、乱で乱れた主従関係を整理して権力の集中を図った。

この知行判物の一斉交付は、戦国大名が家臣団を統制する手段として注目されている。伊達氏の家臣の所領と奉公の関係は、これを機に晴宗を中心に組み直された。

奥州探題と隠居

弘治元年(1555)に左京大夫に任じられ、その後、室町幕府から奥州探題にも任じられた。奥州探題は、陸奥国の軍事・行政を統轄する幕府の役職である。

晴宗の子は多く、周辺の諸家に養子や妻として送られた。岩城氏を継いだ親隆、留守氏を継いだ政景などがその例で、伊達氏と周辺諸家の結びつきは晴宗の代にも広がった。

晴宗はのちに子の輝宗と対立した。永禄7年(1564)頃に家督を輝宗に譲り、杉目城(現在の福島市)に隠居した。天正5年12月5日(1578年)に没し、福島市舟場町の宝積寺に葬られた。

ゆかりの地

  • 宝積寺(福島市):晴宗の墓所。
  • 米沢城跡(米沢市):天文の乱の後、晴宗が居城とした。

参考にした資料

伊達家

主家

家臣団

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