島津貴久 | 島津四兄弟の父。薩摩を統一し、いち早く鉄砲を実戦に使い、ザビエルを迎えた島津家の当主

島津貴久のイラスト(イメージ)

しまづ たかひさ

地域九州(薩摩・大隅)
所属勢力・属性島津氏(薩摩守護)
大名家島津家
家紋丸に十の字
主武器鉄砲
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ先見の当主

島津貴久(しまづ たかひさ)は、薩摩の島津家の当主で、島津義久・義弘・歳久・家久の四兄弟の父である。永正11年(1514年)に生まれ、元亀2年(1571年)に58歳で亡くなった。父の島津忠良とともに島津家をまとめて薩摩を統一し、種子島に伝わった鉄砲をいち早く戦いに取り入れた。

3行でわかる島津貴久
  • 島津忠良の子で、本家の養子となって島津家の当主となった
  • 一族との争いに勝って薩摩を統一し、大隅にも勢力を広げた
  • 鉄砲を早くから実戦で使い、鹿児島でフランシスコ・ザビエルを迎えた
目次

島津家の当主に

貴久は島津忠良の長男として生まれ、大永7年(1527年)に本家の島津勝久の養子となった。しかし勝久が考えを変えたことや、一族の島津実久の反発もあり、当主の地位が固まるまでには長い戦いが続いた。父・忠良の助けを得て実久らを退け、薩摩を統一した。

鉄砲とザビエル

天文12年(1543年)、種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲が伝わった。貴久は鉄砲の価値をいち早く見ぬき、天文23年(1554年)の岩剣城の戦いでは、日本で最も早い時期に鉄砲を実戦で使ったといわれる。

天文18年(1549年)には、キリスト教を伝えに来たフランシスコ・ザビエルを鹿児島で迎え、布教を許した。南蛮貿易の利益に期待したためとも考えられている。

四兄弟へ

貴久は大隅にも勢力を広げ、永禄9年(1566年)ごろ家督を長男の義久にゆずった。義久・義弘・歳久・家久の四兄弟は力を合わせ、のちに九州のほとんどを手に入れる勢いを見せることになる。元亀2年(1571年)に亡くなった。

島津貴久をめぐる人物

  • 父:島津忠良
  • 子:島津義久/島津義弘/島津歳久/島津家久
  • 迎えた宣教師:フランシスコ・ザビエル

ゆかりの地

  • 鹿児島(ザビエル上陸記念碑)(鹿児島市):ザビエルを迎えた地
  • 岩剣城跡(鹿児島県姶良市):鉄砲を使った戦いの舞台
  • 福昌寺跡(鹿児島市):島津家の菩提寺の跡。歴代当主の墓がある
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