いちかわ つねよし
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | 一に三つ星 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 忠義・奉行 |
毛利家の重臣。山口の奉行として旧大内領の統治を担当。大内輝弘の乱を妻とともに乗り越えた。
目次
長門を守った毛利の将
市川経好(いちかわ つねよし)は、中国地方の覇者・毛利氏に仕え、要衝・長門(現在の山口県西部)の守りを任された武将です。毛利氏が旧・大内領である周防・長門を治めるうえで、この地の統治と防衛はきわめて重要でした。
大内氏の旧領を治める
毛利氏は、陶晴賢を厳島の戦いで破り、大内氏の旧領である周防・長門を勢力下に収めました。しかしこの地には旧大内家臣や反毛利の勢力もくすぶっており、市川経好のような将が、山口方面の要として睨みをきかせる必要がありました。
大内輝弘の乱を撃退
永禄12年(1569年)、大友氏の支援を受けた大内輝弘が、大内氏再興を掲げて山口へ攻め込む事件が起こります(大内輝弘の乱)。このとき市川経好は山口の防衛にあたり、留守を預かる立場でこの反乱に対処したと伝えられます。毛利の背後を脅かすこの乱の鎮圧は、毛利氏にとって大きな意味をもちました。
西国支配の要として
市川経好の働きは、毛利氏が中国地方西部を安定して支配するうえで欠かせないものでした。旧大内領という統治の難しい地を守り抜いた経好の生涯は、毛利の西国支配を陰で支えた実務派武将の姿を今に伝えています。



































































