かとう みつやす
| 地域 | 東海・甲信越 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣家臣 |
| 大名家 | 豊臣 |
| 家紋 | 丸に立ち沢瀉 |
| 主武器 | 太刀・采配 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 武功・忠義 |
秀吉の古参家臣。賤ヶ岳や小田原征伐で活躍し甲斐国24万石を領するが、文禄の役の陣中で病死。
目次
秀吉の古参家臣・加藤光泰
加藤光泰(かとう みつやす)は、天下人・豊臣秀吉に仕えた古参の家臣です。秀吉がまだ身を興す前から仕え、数々の合戦で武功を重ねて大名にまで出世した、たたき上げの武将でした。
賤ヶ岳・小田原での活躍
加藤光泰は、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いや、天正18年(1590年)の小田原征伐など、秀吉の天下取りの重要な合戦で活躍しました。その武功によって、秀吉から厚い信任を得ていきます。
甲斐二十四万石
加藤光泰は、その功により、甲斐(現在の山梨県)二十四万石を領する大名となりました。かつて武田信玄が本拠とした甲斐の地を任されたことは、秀吉からの大きな信頼を物語ります。
文禄の役の陣中に病死
しかし加藤光泰は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)に従軍した際、その陣中で病に倒れ、異国の地で世を去りました。武功を重ねて大名にまで登りつめた武将の、惜しまれる最期でした。加藤光泰の生涯は、秀吉の古参家臣として天下取りを支え、朝鮮の陣に散った武将の姿を今に伝えています。












































