一柳直盛 | 一柳直末の弟。伊勢神戸から伊予西条へ移る

ひとつやなぎ なおもり

地域東海・四国
所属勢力・属性一柳一族
大名家一柳一族
家紋―
主武器太刀・大槍
衣装・甲冑黒漆塗実戦具足
武将タイプ勇猛・堅実

一柳直盛(ひとつやなぎ なおもり)は美濃出身の武将・大名である。兄・直末が小田原征伐で戦死すると跡を継ぎ、尾張黒田城主となった。関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後は伊勢神戸5万石を領した。寛永13年(1636年)に伊予西条へ移ったが、同年に没した。

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兄の跡を継ぐ

直盛は永禄7年(1564年)、美濃国に生まれた。通称は四郎右衛門。兄の一柳直末は豊臣秀吉に仕えた武将である。

天正18年(1590年)、直末は小田原征伐の伊豆山中城攻めで戦死した。直盛がその跡を継ぎ、秀吉から尾張黒田城(現在の愛知県一宮市)を与えられた。石高は3万石とされる。

関ヶ原の戦いと伊勢神戸

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、直盛は徳川家康の東軍に属した。本戦の前、東軍が木曽川を渡って岐阜城を攻めた際、直盛は河田の渡しで先に川を渡ったとされ、米野の戦いや岐阜城攻めに加わった。

戦後の慶長6年(1601年)、直盛は伊勢国神戸(現在の三重県鈴鹿市)に移り、5万石を領した。伊予西条に移るのは、それから35年後のことである。

神戸では城下町を広げ、戦乱で荒れた石薬師寺の再建にも関わったとされる。

伊予西条藩主となる

寛永13年(1636年)、直盛は伊予国西条に移され、6万8,000石余を領して西条藩の初代藩主となった。しかし同年、任地に向かう途中の大坂で没した。73歳であった。

遺領は3人の子に分けられた。長男直重が西条藩3万石を継ぎ、次男直家は伊予川之江(のち播磨小野)、三男直頼は伊予小松に分かれた。小野藩と小松藩の一柳家は明治まで続いた。

ゆかりの地

  • 黒田城跡(愛知県一宮市):兄の跡を継いで与えられた城
  • 神戸城跡(三重県鈴鹿市):関ヶ原の後、約35年居城とした
  • 西条陣屋跡(愛媛県西条市):西条藩の藩庁

参考にした資料

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