いこま かずまさ
| 地域 | 讃岐国(香川県) |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 豊臣家臣のち東軍 |
| 大名家 | 生駒氏 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 槍 |
| 衣装・甲冑 | 当世具足 |
| 武将タイプ | 家を守った決断の将 |
生駒一正は、讃岐の大名・生駒親正の子である。関ケ原の戦いで父と別れて東軍につき、生駒家の讃岐の領地を守った。高松藩主生駒家の初代とされる人物である。
美濃の生駒氏に生まれる
一正は弘治元年(1555)に生まれた。生駒氏は美濃(岐阜県)の出身で、祖父は生駒親重で、父の親正は美濃国土田の生まれとされる。一正は親正の長男である。
一正ははじめ織田信長に仕えた。信長の死後は豊臣秀吉に従い、朝鮮出兵にも加わった。父の親正は秀吉のもとで出世し、天正15年(1587)に讃岐の領主となった。
父の親正は正成・近世などの名でも知られる。親正は慶長8年(1603)2月13日に78歳で没した。讃岐の高松で亡くなったとされる。
関ケ原で父と道を分ける
慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで、生駒家は二つに分かれた。父の親正は西軍につき、丹波へ兵を出した。一方、一正は東軍につき、先鋒をつとめたとされる。
戦いは東軍の勝利に終わった。西軍についた親正は、東軍に味方した一正に免じて許されたという。一正の働きにより、生駒家は讃岐一国の領地を認められたのである。親正は慶長8年(1603)に没した。
丸亀城から高松城へ
慶長6年(1601)、一正は讃岐17万石余りの領主として丸亀城に入った。翌年には高松城に移り、ここを本拠とした。
このため一正は、高松藩主生駒家の初代とされる。一正は慶長15年(1610)3月18日に没した。56歳であった。
父の親正は、高松で没したとされる。関ケ原ののち、讃岐の政治は一正が担い、父はその城下で晩年を過ごしたことになる。
生駒騒動と家のその後
生駒氏は、親正の入封からおよそ50年にわたって讃岐を治めた。しかし4代高俊のとき、家中で争いが起こった。これを生駒騒動という。
寛永17年(1640)、生駒家はこの騒動のため讃岐の領地を取り上げられた。そして出羽国矢島(秋田県)の1万石に移された。関ケ原で一正が守った讃岐の領地は、孫の代で失われたことになる。
ゆかりの地
- 高松城跡(香川県高松市):一正が丸亀から移り、生駒家の本拠とした城の跡
- 丸亀城(香川県丸亀市):慶長6年(1601)に一正が入った城
参考にした資料
生駒親正の子
一正は、讃岐の大名である生駒親正の子です。1555年に生まれました。
父とともに
一正は、父の親正とともに織田信長・豊臣秀吉に仕え、各地の戦いに加わりました。
讃岐へ
1587年、父の親正が讃岐を与えられると、一正も讃岐に移りました。
高松城
親正は、讃岐の高松に城を築きました。高松城は、瀬戸内海に面した海城として知られます。
朝鮮出兵
一正は、秀吉の朝鮮出兵にも加わったとされます。
関ヶ原の戦い
1600年の関ヶ原の戦いで、一正は東軍に加わりました。一方、父の親正は西軍に味方したとされます。
東西に分かれた父子
父と子が東西に分かれたことで、どちらが勝っても家を保つことができるようにしたとも考えられています。
関ヶ原での働き
一正は、関ヶ原の本戦で東軍として戦い、手柄を立てたとされます。
高松藩主
戦後、生駒家は讃岐の所領を認められ、一正が高松藩の藩主となりました。
父の死
1603年、父の親正が亡くなりました。
讃岐の経営
一正は、讃岐の城下町を整え、藩の基礎を固めたとされます。
丸亀城
父が築いた丸亀城も、讃岐の西部の拠点として使われました。
最期
一正は1610年に亡くなりました。
生駒騒動
一正の死後、生駒家では家中の争いが起こり、1640年に「生駒騒動」によって讃岐から出羽の矢島に移されました。
一正の評価
一正は、関ヶ原の戦いで東軍に加わって生駒家を守り、讃岐高松藩の藩主となった人物です。父の親正とともに、讃岐の町の基礎を築きました。
このイラストについて
甲冑姿の若い武将が槍を手にし、海辺の城を背にした姿です。
背景の海辺の城は、生駒家が讃岐に築いた高松城をイメージしています。胸の家紋は、生駒家の家紋をイメージしたものです。槍を手にした姿は、関ヶ原の戦いで東軍として戦った一正を表しています。顔立ちは想像によるものです。
※当サイトの武将イラストは、画像生成AIを活用し、当サイトが構図や装束を指定して制作した想像図です。肖像画や現存する甲冑をそのまま写したものではありません。
尾張の百姓の家に生まれたとされる羽柴(豊臣)秀吉が、織田信長に仕えて一代で築いた家。本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀を討ち、清洲会議と賤ヶ岳の戦いを経て織田家中の主導権を握った。1585年に関白となり、翌年には朝廷から「豊臣」の姓を賜っている。
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