こだま なリただ
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀・行政書状 |
| 衣装・甲冑 | 重臣具足 |
| 武将タイプ | 行政・奉行 |
毛利元就の側近で、毛利氏の「五奉行」の一人。児玉元実の次男で、行政手腕を買われて桂元忠とともに元就の政務を支えた。天文19年(1550)の五奉行制では、元就と当主隆元の間の取り次ぎ役を務めた。
目次
安芸児玉氏の出身
児玉就忠(こだま なりただ)は安芸の児玉氏の出身で、児玉元実の次男とされる。兄に就兼、弟に水軍の将として知られる就方がいる。就忠は一族の児玉家行の養子となり、その遺領を継いだ。毛利元就に仕えた譜代の家臣である。
元就の側近と五奉行
就忠は行政の手腕を元就に認められ、桂元忠とともに側近の奉行として政務の中心を担ったとされる。
天文19年(1550)、元就は重臣の井上元兼ら井上一族を粛清し、家中への統制を強めた。同じ年、元就は当主の隆元のもとに奉行人の制度を整えた。赤川元保・粟屋元親・国司元相の3人が隆元側の奉行となり、元就側からは桂元忠と就忠が加わった。これが毛利氏の「五奉行」である。就忠の役目は元就の意向を奉行衆に伝え、元就と隆元の間を取り次ぐことだった。
隆元の側近である赤川元保・国司元相とは不仲だったとも伝わる。元就は隠居後も実権を握っており、就忠はその意向を家中に通す要の位置にいた。
軍事面と後継
就忠は尼子氏との戦いで戦功を挙げたとされるが、合戦より政務で評価された人物と伝わる。
永禄5年(1562)頃に没し、嫡男の元良が跡を継いで五奉行に加わったとされる。子にはほかに小方元信・児玉春種・内藤元輔がいる。
ゆかりの地
- 郡山城跡(安芸高田市):就忠が仕えた毛利氏の本拠
































































