一柳直家 | 一柳直盛の次男、播磨小野藩一柳家の初代藩主

ひとつやなぎ なおいえ

地域東海・四国
所属勢力・属性徳川家臣(大名)
大名家一柳
家紋―
主武器長槍
衣装・甲冑軽捷具足
武将タイプ勇猛・若武者

一柳直家は一柳直盛の次男で、江戸時代前期の大名である。慶長4年(1599年)に生まれ、二度の大坂の陣に従軍した。寛永13年(1636年)に播磨・伊予で2万8600石を得て、播磨小野藩一柳家の初代となった。

目次

一柳家の次男として

一柳直家は慶長4年(1599年)に生まれた。父は一柳直盛で、その次男である。伯父の一柳直末は豊臣秀吉の古参家臣で、天正18年(1590年)の小田原攻めの緒戦、山中城攻めで戦死した。直末の死後、弟の直盛が家を継いだ。

直家が生まれたのは山中城の戦いの9年後である。直家自身は山中城攻めに加わっていない。

大坂の陣と所領

直家は慶長19年(1614年)・同20年の二度の大坂の陣に従軍した。父の直盛はこの頃、伊勢神戸の大名であった。

寛永13年(1636年)、直盛は伊予西条へ移されることになったが、その途中で死去したとされる。遺領は子らに分けられ、直家は伊予の宇摩・周敷の2郡と播磨の加東郡で、合わせて2万8600石を得た。これにより直家は播磨小野(今の兵庫県小野市)を拠点とし、小野藩一柳家の初代となった。

死去と減封

直家は寛永19年(1642年)5月29日に死去した。44歳であった。

直家は死の前に養子を迎えていたが、この相続は末期養子(当主が死の間際に迎える養子)とみなされた。そのため所領の多くを没収され、小野藩は1万石となった。その後も一柳家は小野に置かれ、明治の廃藩置県まで続いた。

ゆかりの地

  • 小野陣屋跡(兵庫県小野市):小野藩一柳家の陣屋が置かれた地

参考にした資料

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