こだま なリカた
| 地域 | 中国 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 毛利家臣・水軍 |
| 大名家 | 毛利 |
| 家紋 | 丸に三ツ星 |
| 主武器 | 太刀・水軍旗 |
| 衣装・甲冑 | 水軍具足 |
| 武将タイプ | 毛利水軍・名将 |
児玉就忠の弟。毛利水軍の総将として川之江の戦いや厳島の戦い(海上封鎖)で縦横無尽の活躍。
目次
毛利水軍の総将・児玉就方
児玉就方(こだま なりかた)は、中国地方の覇者・毛利氏に仕えた武将で、毛利家の行政を担った重臣・児玉就忠の弟にあたります。就方は、兄が行政に手腕を発揮したのに対し、毛利水軍の総将として、その武を海上で発揮しました。
海の戦力・毛利水軍
中国地方は瀬戸内海に面し、毛利氏にとって水軍は欠かせない戦力でした。児玉就方は、この毛利水軍を率いる総将として、海上での戦いを指揮しました。陸の軍と並んで、水軍は毛利の勢力を支える両輪だったのです。
厳島の戦いと海上封鎖
弘治元年(1555年)、毛利元就が陶晴賢を破った厳島の戦いでは、水軍が勝敗を大きく左右しました。児玉就方は、この厳島の戦いにおける海上封鎖や、川之江の戦いなど、各地の水上戦で縦横無尽の活躍を見せたと伝えられます。
毛利の制海権を支えて
児玉就方の率いる毛利水軍は、瀬戸内の制海権を握り、毛利氏の中国制覇を海の面から支えました。就方の生涯は、兄・就忠が行政で毛利を支えたのと対をなす形で、水軍の総将として毛利の武を海上で担った、その活躍を今に伝えています。

































































