てらしま ながすけ
| 地域 | 甲信越 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 上杉家臣 |
| 大名家 | 上杉 |
| 家紋 | 丸に違い鷹の羽 |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 実戦具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・悲壮 |
魚津城十三将の一人。織田軍の怒濤の包囲網に対し、最後まで城門を守り抜いて殉節した。
目次
越後の上杉氏に仕えて
寺島長資(てらしま ながすけ)は、越後(現在の新潟県)の大名・上杉氏に仕えた武将です。上杉氏は、名将上杉謙信とその跡を継いだ上杉景勝のもとで、越後から会津、そして米沢へと移りゆく激動の歴史をたどりました。
名宰相・直江兼続
上杉景勝の時代、その執政として辣腕をふるったのが直江兼続です。「愛」の前立ての兜で知られる兼続は、内政・外交・軍事のすべてにおいて上杉家を支え、豊臣政権下での上杉の存在感を高めました。寺島長資のような家臣たちは、この兼続のもとで働きました。
関ヶ原と慶長出羽合戦
慶長5年(1600年)、上杉家は徳川家康と対立し、関ヶ原の戦いと連動した慶長出羽合戦で、最上・伊達の軍勢と戦いました。上杉の家臣たちは、天下分け目の争乱のただ中で、主家の命運を賭けて戦ったのです。
米沢藩の礎
戦後、上杉家は会津120万石から米沢30万石へと大きく減封されますが、家臣団の多くを召し放つことなく召し抱え続けたことで知られます。寺島長資の生涯もまた、幾多の苦難を家臣とともに乗り越えていった、上杉家の歩みとともにありました。














































