ほんごう みつひさ
| 地域 | 九州 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 島津家(一門・北郷氏) |
| 大名家 | 島津家 |
| 家紋 | ― |
| 主武器 | 太刀 |
| 衣装・甲冑 | 黒塗具足 |
| 武将タイプ | 勇猛・武臣 |
北郷三久(ほんごう みつひさ)は、島津氏一門・北郷時久の三男である。文禄4年(1595年)の所領替えで薩摩国平佐に移り、平佐北郷家の初代となった。朝鮮出兵では島津義弘に従って渡海し、庄内の乱では島津忠恒の側で戦った。
目次
北郷家の三男として
三久は天正元年(1573年)の生まれとされる。父は日向国都城を本拠とした北郷氏の10代当主・北郷時久である。北郷氏は島津家4代忠宗の子・資忠を祖とする島津一門で、都城を拠点に勢力を保っていた。
三久は時久の三男である。長兄は相久(すけひさ)、次兄は家督を継いだ忠虎である。
都城から平佐へ
文禄4年(1595年)、豊臣政権による島津領の所領替えで、北郷家は都城から薩摩国宮之城へ移された。このとき三久は平佐(現在の鹿児島県薩摩川内市)に入り、平佐北郷家の初代となった。平佐郷は平佐村と天辰村からなる平佐北郷家の私領で、江戸時代には平佐城二之丸跡に領主仮屋が置かれた。
平佐の兼喜神社は、三久が兄・相久の生涯を哀れみ、その霊を慰めるために創建したと伝えられる。
朝鮮出兵と庄内の乱
慶長元年(1596年)、三久は島津義弘に従って朝鮮へ渡った。慶長3年(1598年)の泗川の戦いでは、三久の手勢が多数の首級を挙げたと伝えられるが、数字は家中の記録によるもので、そのまま事実とはいえない。
慶長4年(1599年)、島津家の重臣・伊集院忠真が都城を拠点に反乱を起こした(庄内の乱)。三久は島津忠恒(のちの家久)に従って忠真方と戦い、忠恒から感状(戦功を賞する文書)を受けたとされる。乱の後、北郷本家は都城に戻ったが、三久は平佐にとどまった。
庄内の乱は関ヶ原の戦いの前年にあたる出来事である。三久は元和6年(1620年)に没したとされ、平佐の北郷家墓地に墓がある。
ゆかりの地
- 北郷家墓地(鹿児島県薩摩川内市):平佐北郷家の墓所。初代三久の五輪塔が石屋に納められている
- 兼喜神社(鹿児島県薩摩川内市):三久が兄・相久の霊を慰めるために創建したと伝わる
- 平佐城跡(鹿児島県薩摩川内市):二之丸跡に平佐北郷家の領主仮屋が置かれた





















