奥村永福 | 前田家の重臣。末森城で佐々成政の大軍を防ぎ抜き、加賀百万石の礎を守った

奥村永福のイラスト(イメージ)

おくむら ながとみ

地域北陸(能登・加賀)
所属勢力・属性前田氏(重臣)
大名家奥村家
家紋不詳
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ籠城の名将

奥村永福(おくむら ながとみ)は、前田利家に仕えた重臣である。天文10年(1541年)に生まれ、寛永元年(1624年)に84歳で亡くなった。天正12年(1584年)、能登の末森城で佐々成政の大軍に囲まれながら、少ない兵で城を守り抜いた。この戦いでの勝利が、前田家の加賀・能登支配を確かなものにした。

3行でわかる奥村永福
  • 前田家に古くから仕えた家臣で、利家の信頼があつかった
  • 末森城の戦いで、佐々成政の約1万5千の大軍に少数で耐え抜いた
  • 妻の安も城兵を励まして戦いを支えたと伝わる
目次

前田家の古参

永福は尾張の出身で、前田利家の兄・利久の代から前田家に仕えた。一時は前田家を離れたが、のちに利家のもとに戻り、重臣となった。

末森城の戦い

天正12年(1584年)、豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧・長久手の戦いのさなか、家康方についた越中の佐々成政が、前田家の能登の末森城(石川県宝達志水町)を約1万5千の大軍で囲んだ。

城を守る永福の兵はわずか千人あまりだったが、永福は必死に城を守った。妻の安(加藤安)は、なぎなたを持って城内を見回り、粥を配って兵を励ましたと伝わる。やがて利家が救援に駆けつけ、佐々軍は退いた。

その後

この勝利により、前田家は能登・加賀の支配を守り、のちの加賀百万石へとつながった。永福はその後も前田家の重臣として仕え、寛永元年(1624年)に亡くなった。

奥村永福をめぐる人物

  • 主君:前田利家/前田利長
  • 妻:安(加藤安)
  • 末森城を攻めた相手:佐々成政
  • 同僚:村井長頼

ゆかりの地

  • 末森城跡(石川県羽咋郡宝達志水町):永福が守り抜いた城
  • 金沢城(石川県金沢市):前田家の本拠
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