織田長益(有楽斎) | 本能寺の変を生きのびた信長の弟。茶人「有楽斎」として如庵を残す

織田長益のイラスト(イメージ)

おだ ながます(うらくさい)

地域東海(尾張)
所属勢力・属性織田氏一門→豊臣氏→徳川氏
大名家織田氏
家紋織田木瓜
主武器―(茶人)
衣装・甲冑茶人の道服
武将タイプ茶人大名

織田長益(おだ ながます)は、織田信長の弟で、のちに茶人「有楽斎(うらくさい)」として知られた人物である。天文16年(1547年)に生まれ、元和7年(1621年)に亡くなった。本能寺の変では織田信忠とともに二条新御所にいながら脱出して生きのび、豊臣秀吉・徳川家康のもとで生き抜いた。国宝の茶室「如庵」を残している。

3行でわかる織田長益
  • 信長より13歳ほど年下の弟。兄の時代は信忠に従って戦った
  • 本能寺の変では二条新御所から脱出し、生きのびた
  • 秀吉の側近(御伽衆)や茶人として活躍し、関ヶ原では家康方。晩年は京で茶の湯に生きた
目次

本能寺の変を生きのびる

天正10年(1582年)の本能寺の変のとき、長益は信長の嫡男・信忠とともに京の二条新御所にいた。信忠は自害したが、長益は脱出して生きのびた。このことで、京の人々からからかわれる歌がはやったとも伝わる。

秀吉・家康のもとで

その後、長益は秀吉に仕え、話し相手を務める御伽衆となった。茶の湯にすぐれ、千利休の弟子の一人に数えられることもある。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは家康方につき、戦後も大名として残った。大坂の陣では、姪の子にあたる豊臣秀頼のいる大坂城に入ったが、夏の陣の前に城を出ている。

茶人・有楽斎と如庵

晩年の長益は京で暮らし、茶の湯の道を極めた。京都の建仁寺の塔頭・正伝院に建てた茶室「如庵」は、今は愛知県犬山市の有楽苑に移され、国宝に指定されている。東京の「有楽町」の名は、長益の屋敷があったことに由来するという説があるが、確かではない(「信長と秀吉の茶の湯・文化を比較」参照)。

織田長益をめぐる人物

  • 兄:織田信長
  • 兄弟:織田信勝/織田信包
  • 甥:織田信忠
  • 仕えた相手:豊臣秀吉/徳川家康
  • 茶の湯の仲間:古田重然(古田織部)

ゆかりの地

  • 有楽苑(国宝 茶室「如庵」)(愛知県犬山市):長益の茶室が移築されている庭園
  • 正伝永源院(京都市東山区):長益が再興した正伝院の流れをくむ寺。墓所がある
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