阿茶局 | 家康がもっとも信頼した側室。戦場にも同行し、大坂冬の陣では和睦の交渉役をつとめた

阿茶局のイラスト(イメージ)

あちゃのつぼね

地域関東(江戸)・東海(駿府)
所属勢力・属性徳川氏(家康の側室)
大名家徳川家
家紋不詳
主武器―
衣装・甲冑小袖・打掛
武将タイプ交渉役の側室

阿茶局(あちゃのつぼね)は、徳川家康の側室である。本名は須和(すわ)と伝わる。弘治元年(1555年)に生まれ、寛永14年(1637年)に83歳で亡くなった。かしこさを家康に信頼され、戦場にも同行した。大坂冬の陣では、徳川方の代表として和睦の交渉にあたった。

3行でわかる阿茶局
  • 武田家の家臣の娘で、夫を亡くしたのち家康の側室となった
  • 家康の信頼があつく、奥向きを取りしきり、秀忠らの養育にもかかわった
  • 大坂冬の陣でお初(常高院)と和睦を交渉し、のちに従一位を与えられた
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家康の側室に

阿茶局は甲斐の武田家の家臣・飯田直政の娘として生まれた。はじめ今川家の家臣・神尾忠重に嫁いだが、夫を亡くしたあと、天正7年(1579年)ごろ家康の側室となった。

子は産まなかったが、かしこく機転がきいたことから家康に深く信頼された。小牧・長久手の戦いなど、戦場にも同行したと伝わる。家康の三男・秀忠の母である西郷局が亡くなったあとは、秀忠や松平忠吉の世話もしたという。

大坂冬の陣の和睦

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、家康は大坂城の豊臣方と和睦することになった。徳川方の代表となった阿茶局は、豊臣方の代表で淀殿の妹のお初(常高院)と話し合い、和睦をまとめた。

この和睦の条件で大坂城の堀が埋められ、翌年の夏の陣で豊臣家が滅びることになる。

晩年

家康の死後、阿茶局は出家して雲光院と名のった。元和6年(1620年)、秀忠の娘・和子が後水尾天皇に嫁ぐさい、母代わりとして京へ付き添い、朝廷から従一位を与えられた。寛永14年(1637年)に江戸で亡くなった。

阿茶局をめぐる人物

  • 夫:徳川家康
  • 和睦の交渉相手:お初(常高院)
  • 世話をした子:徳川秀忠/松平忠吉

ゆかりの地

  • 雲光院(東京都江東区):阿茶局が開いた寺で、墓所がある
  • 駿府城(静岡市葵区):家康とともに過ごした城
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