村井貞勝 | 信長の京都をおさめた京都所司代。朝廷・寺社・町をまとめ、本能寺の変で信忠とともに散る

村井貞勝のイラスト(イメージ)

むらい さだかつ

地域近畿(京都)
所属勢力・属性織田氏(京都所司代)
大名家村井氏
家紋不詳
主武器―(吏僚)
衣装・甲冑肩衣・袴(のち法体)
武将タイプ行政の実務家

村井貞勝(むらい さだかつ)は、織田信長の家臣で、京の政務をまかされた人物である。生まれた年はわかっていない。天正元年(1573年)ごろから「天下所司代(京都所司代)」として、朝廷や寺社とのやりとり、京の町の裁判や治安などを担った。天正10年(1582年)の本能寺の変で、織田信忠とともに二条新御所で討死した。

3行でわかる村井貞勝
  • 信長の古くからの家臣で、戦よりも政務で力を発揮した
  • 天正元年(1573年)ごろから京都所司代として、朝廷・寺社・京の町の行政をまとめた
  • 本能寺の変で信忠のもとに駆けつけ、二条新御所で討死した
目次

京をおさめた信長の吏僚

信長が上洛した永禄11年(1568年)以降、京の政務は明智光秀・丹羽長秀・羽柴秀吉らが分担していたが、足利義昭が追放された天正元年ごろからは、貞勝が中心となった。御所の修理、公家や寺社の所領をめぐる争いの裁き、京の町の決まりなど、仕事は多岐にわたった。宣教師の記録にも、京で大きな力を持つ人物として登場する。

本能寺の変

天正10年6月2日、本能寺が明智勢に襲われると、貞勝は近くの屋敷から信忠のいる妙覚寺に知らせ、ともに二条新御所に移って戦ったが、討死した。京をよく知る貞勝の死は、信長の政権が京から崩れる象徴でもあった。

秀吉の時代に京都所司代を務めた前田玄以は、貞勝の役割を引き継いだ人物といえる(「信長と秀吉の経済政策を比較」参照)。

村井貞勝をめぐる人物

  • 主君:織田信長
  • ともに最期を迎えた人物:織田信忠
  • 京の政務の同僚:明智光秀/丹羽長秀
  • 役目を継いだ人物:前田玄以(秀吉の京都所司代)

ゆかりの地

  • 二条殿跡(二条新御所跡)(京都市中京区):貞勝が信忠とともに最期を迎えた地
  • 京都御所(京都市上京区):貞勝が修理を担った御所
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