上杉景虎 | 北条氏康の子で上杉謙信の養子。謙信の死後、上杉景勝と家督を争った「御館の乱」に敗れる

上杉景虎のイラスト(イメージ)

うえすぎ かげとら

地域甲信越(越後)・関東(相模)
所属勢力・属性上杉氏(謙信の養子)
大名家上杉家(北条家の出身)
家紋竹に雀(上杉家)
主武器槍
衣装・甲冑具足・陣羽織
武将タイプ悲運の貴公子

上杉景虎(うえすぎ かげとら)は、北条氏康の子で、上杉謙信の養子となった武将である。天文23年(1554年)ごろに生まれ、天正7年(1579年)に26歳ほどで亡くなった。謙信の死後、もう一人の養子・上杉景勝と家督を争った「御館の乱」に敗れて自害した。

3行でわかる上杉景虎
  • 北条氏康の子で、北条家と上杉家の同盟のしるしとして謙信の養子となった
  • 謙信の若いころの名「景虎」を与えられ、謙信にかわいがられた
  • 謙信の死後、景勝と家督を争った御館の乱で敗れ、自害した
目次

北条家から上杉家へ

景虎は北条氏康の子として小田原に生まれた。永禄12年(1569年)、北条家と上杉家が同盟(越相同盟)を結んだとき、そのしるしとして越後の上杉謙信のもとへ送られた。

謙信は景虎をかわいがり、自分の若いころの名である「景虎」を与えた。さらに、甥の上杉景勝の姉(妹とも)を景虎の妻とした。

御館の乱

天正6年(1578年)、謙信が後継者をはっきり決めないまま急死すると、二人の養子、景勝と景虎の争いが起きた(御館の乱)。景虎は、前の関東管領・上杉憲政の館「御館」(新潟県上越市)に入って景勝と戦った。

景虎の実家の北条家は、同盟していた武田勝頼に援軍を頼んだ。ところが勝頼は景勝と和睦し、景勝の側についた。これが景虎にとって大きな痛手となった。

最期

天正7年(1579年)、御館は景勝の軍に攻め落とされた。景虎は兄の北条氏政を頼って小田原へ逃れようとしたが、途中の鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)で城主に裏切られ、自害した。

御館の乱で武田家が景勝についたことは、北条家と武田家の同盟が壊れるきっかけにもなった。

上杉景虎をめぐる人物

  • 実父:北条氏康
  • 養父:上杉謙信
  • 兄:北条氏政/北条氏照/北条氏邦
  • 家督を争った相手:上杉景勝

ゆかりの地

  • 御館跡(御館公園)(新潟県上越市):景虎が立てこもった館の跡
  • 鮫ヶ尾城跡(新潟県妙高市):景虎が最期を迎えた城
  • 春日山城跡(新潟県上越市):謙信の居城
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