もがみ よしあき
| 地域 | 東北 |
|---|---|
| 所属勢力・属性 | 最上氏 |
| 大名家 | 最上氏 |
| 家紋 | 丸に竹に雀 |
| 主武器 | 大太刀・指揮棒 |
| 衣装・甲冑 | 黒塗重厚具足 |
| 武将タイプ | 英明・謀略 |
「出羽の出羽守」。戦国時代の激戦を勝ち抜き山形57万石の大大名となった智勇の将。
目次
出羽の智勇の将・最上義光
最上義光(もがみ よしあき)は、出羽国(現在の山形県)の戦国大名・最上氏の当主です。知略と武勇を兼ね備えた「智勇の将」として、戦国の激戦を勝ち抜き、山形五十七万石の大大名へと最上氏を押し上げた傑物でした。
出羽統一への道
最上義光は、謀略と武力を巧みに使い分け、出羽の諸勢力を次々と従えていきました。名門・寒河江氏を滅ぼすなど、その出羽統一の歩みは、時に非情でありながらも着実なものでした。伯父にあたる伊達輝宗、甥の伊達政宗とも、時に対立しながらわたり合いました。
慶長出羽合戦
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに連動して、最上義光は東軍に属し、西軍方の上杉氏(直江兼続)の大軍と慶長出羽合戦を戦いました。長谷堂城を舞台にしたこの死闘を耐え抜いたことが、戦後の大加増につながります。
山形五十七万石
関ヶ原の功により、最上義光は山形五十七万石という東北屈指の大大名となりました。城下町・山形の整備や、最上川の舟運の開発など、その領国経営にも手腕を発揮しています。最上義光の生涯は、智勇を尽くして出羽を統一し、最上氏の全盛を築いた傑物の姿を今に伝えています。
































